萌え考

「萌え」という言葉は、まだちゃんとした定義がないらしい。
俗語ゆえに、今後ずっと日本語として定着するかどうかも不透明だ。
ドラマ「電車男」で使われて、一気に一般層まで広がった気がするのだが、それだけに
単なる流行語として終わる可能性もある。


じゃあ、自分にとって「萌え」とは何ぞや? と考えてみた。
ひどく当たり前のことだが、何かが可愛くていいなぁ、と思ったときに「○○萌え」と言う。
では、「可愛い」と「萌え」は何が違うのか。


私は、「可愛い」という感情を誘発させる諸条件のすべてを、総括して「萌え」と呼んでいる
のではないか、という仮説を立ててみた。
ん? 「可愛い」は機能で、「萌え」は構造ってことか? 
‥‥自分でも書いててよく分からんw


ここで話はずれるのだが、「萌え」はあくまでも他者が発見しなければならん、ということである。
どういうことかというと、自らが「さあ、萌えなさい」と挑発しても、なかなかうまくはいかない、
という話だ。


むしろ、本人が何とも思ってなく、自分の魅力に気がついてない部分=無意識なところに「萌え」が
発生しているのではないか。
逆に、自分の魅力に気がついて、それを意識的に演出するようになると、「萌え」度は激減するような
気がする。


だから、我々は可愛い少女に萌えることができるわけだが、これは日本文化の特徴ではないかと思う。
というのも、欧米ではセクシャリティーをコントロールできるのが大人の女とされており、それ以外の
ものにセクシャリティーを感じるのは“変態”でしかないからである(←と断言していいものかどうか)。


分かりやすく言うと、雑誌「ニキータ」に登場するモデルに対して、オタクはたぶん萌えない。
逆に「セブンティーン」だと萌える。
決してロリコンだからというわけではなく、セクシャリティーの制御の問題だからだ。


いや、「セブンティーン」のモデルだって、自分の魅力を分かってるしコントロールもしているだろう。
しかし、本人の制御できないもの=思春期の身体と心が、どうしてもオーバーフローしているので、
オタクは萌えてしまうのだ(←これも断言していいものかどうか)。


では、ネコ耳などの「萌え属性」についてはどうか? 
ほとんどの場合、もともと萌える何かに付け加えられたオマケのようなものだと思われる。
だから、可愛くない女の子のメイド服やネコ耳でも萌えるのか、と問われれば、たぶん否と答えるだろう。
そこが、単なるフェティシズムと違う点ではないか。


このようなバラエティの豊富さは、個人の嗜好を多品種少量生産で供給できる基盤が、産業だけでなく
文化的にもあるからだろう。
それは、日本の風俗産業のジャンルの細かさを見れば分かる。


すると、欧米で「萌え」文化が広がっていると言われているが、どういうことだろうか? 
ひとつには、これまで単品のメニューしかなかったので、何か違うなぁと思いつつも、それしか注文
できなかった文化に、こんなのもありまっせ、といくつかの違うメニューが現れたからだろう。


もし、「萌え」文化がある程度、欧米で定着すると、これまで大人の女っぽくしていたティーンエイジャー
の女の子たちが、10代の間だけしかできないファッションに狂うことになろう。
一方で、まだセクシャリティーを制御できない少女たちを守らなければならない、と保守的な人々が
反「萌え」文化キャンペーンを張ることもあるかもしれない。


いずれにせよ、日本のストリートファッションが世界に認知されていくのも時間の問題ではないかと
思うのです。
酔っ払いのたわごとですが。


【蛇足】
ハロプロ系の女の子は、基本「萌え」系だと思うんですよ。
でも、ときどきセクシー路線に行きますな。
ああいう攻撃的なセクシャリティーは、お客さんであるオタクにとって、あまりメリットはないんじゃ
ないかと愚考するわけです。
では、「萌え」でもない「セクシー」でもない、第三の路線はあるのか? 
申し訳ないが、私には分からないのです。


本文と写真はまったく関係ありません

( ´酈`)<萌えとセクシーの合体なのれす