今さらという感じもするが、火曜日になってようやく録画したのを見た。
フジテレビ、GJ! 原作のイメージを壊すことなく、見事にドラマにしている。
さすがだ。
同じ上野樹里を使った「笑う大天使」の監督に見せてやりたい。
マンガのテンポをドラマに違和感なく移すのは、実はすごく難しい。
というのも、マンガを読むときはコマからコマへ流れるように読んでいるのだが、
実はひとりひとりのテンポは微妙に違う。
だいたいは作者の計算どおりに読まされるので、マンガを読んで笑ったり泣いたり
できるけれど、ドラマは全員が同じ時間軸で見るために、もし演出と視聴者のテンポ
がズレていれば、それは致命的になる。
このドラマで、のだめがよく口にする「ぎゃぼー」という声や倒れ方は、少なくとも
私にとっては完璧なテンポだった。
演出家は、マンガをよく読んでいて、自分が読んだのと同じ感覚でカットを考えて
いるに違いない。
キャスティングも問題なく、主演の上野樹里が実にいい。
竹中直人の怪演にもこれから期待したい。
のだめは一種の天才で、千秋は秀才である。
例えば、藤原正彦は「心は孤独な数学者」で、インド人の天才数学者ラマヌジャンに
ついて、このように書いている。
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ラマヌジャンは、「我々の百倍も頭がよい」という天才ではない。「なぜそんな公式を
思い付いたのか見当がつかない」という天才なのである。アインシュタインの特殊相対
性理論は、アインシュタインがいなくとも、二年以内に誰かが発見しただろうと言われる。
数学や自然科学における発見のほとんどすべては、ある種の論理的必然、歴史的必然が
ある。だから「十年か二十年もすれば誰かが発見する」のである。
(中略)
ところがラマヌジャンの公式に限ると、その大半において必然性が見えない。という
ことはとりもなおさず、ラマヌジャンがいなかったら、それらは百年近くたった今日でも
発見されていない、ということである。
天才と秀才の組み合わせがうまくいくと、素晴らしい何かが生まれるという。
実際、ラマヌジャンはインドから英国のケンブリッジ大学へ行き、そこで大秀才ハーディと
ともに共著で何本も革命的な論文を書くのである。
おそらく、のだめもそのような才能を持っており、それは千秋にしか引き出せぬものなの
であろう。
天才というのは、私の考えでは、言語に縛られていない思考ができる人のことではないか
と思う。
言語はクリアーにものごとを説明できるが、言語で説明できる以外の部分を切り落として
しまう。秀才は自分で何もかもを説明することができるが、天才は違う。
だから、いまやったのと同じことをもう一度やって、と言われても、自分でどうやったか
分からないから、再現できないことがあるという。
私は天才ではないから、本当のところはよくわからないけど。