腋毛考2

昨日の続きというか、何か書き足りないような気がするので。


女が腋毛を剃る習慣は、戦後のハリウッド映画の影響らしい、ということだった。
腋のみならず、腕や脛の毛も脱毛するのは、ナショナルの「きれいなお姉さんは
好きですか」シリーズでもおなじみだ。


じゃあ、陰毛も剃るのかといえば、いわゆるビキニラインと呼ばれる部分を処理
するが、全部を剃ってしまう人はあまりいない。


なんでかというと、要するにふだん見える部分の毛が恥ずかしいと思うから剃る
わけで、ほとんど人目に触れることのない部分の毛は、残しておいてもいいんじゃ
ないか、という理由だろう。


しかし、ノースリーブの服じゃない限り、あえて腋を見せるようなことはないはず。
てことは、別に腋毛は剃らなくてもいいんじゃないかと思うのだが。
もし腋毛を剃るのなら、陰毛も剃るのがバランスのとれた姿ではないか。
(何のバランスだかw)


つまり、女性が肌を露出する割合が高まると、毛を剃る部分も広がるということか。
毛は野生を意味し、洗練と正反対の位置にあるから、存在を隠そうとするわけね。
私から見れば、女はみんなバービー人形になりたがってるのではないかと思うが。


だが、ある時点で、女のバービー人形化は止まる場合がある。
それが「おばちゃん」になったときだろう。結婚して、精神的にも経済的にも、そう
いうことにかまっていられなくなったからか。
最近は、歳をとってもバービー人形みたいな人もいて、憧れの対象になっている。
叶姉妹なんて、そうですね。


その点、男は楽だったのだが、最近は過剰な清潔感を期待されるので、モテたい男は
デオドラント対策に走る。「不潔」と言われるのが最大のダメージだからだ。
これって、薬品・化粧品メーカーが儲かるだけなんじゃねーの? という話は広告
代理店的にタブーですかそうですか。


話を毛に戻そう。
どんなにつまらないものでも、隠すことによって何か素晴らしいものだという幻想を
抱かせることができる。
ご神体とか免許皆伝の巻物とか、見てしまうと「なーんだ」というものでも、人に
見せないことで価値が上がるわけです。


かつてエロ本に陰毛の写っている写真が掲載されるのは禁止されていた。
私なんかは、それこそ必死になって毛のある洋モノのヌードを探したものですよ。
プレボーイとかハスラーとか。


で、ある日そういう写真はオッケーになった。
いつからだろうと調べてみたら、1991年に発売された樋口可南子の「ウォーターフルーツ」
という写真集からだった。意外と最近だ。


宮沢りえとか菅野美穂なんかが、陰毛を出した写真集を発売すると、もう鼻を膨らませて
見たわけです。アホですな。


今では、オッサン向けの週刊誌にいくらでも掲載されているので、どうでもよくなって
しまったけれど、これでひとつ少年をトキメかせるものが失われたわけです。
エロスの氾濫は、男を徐々に去勢させているのではないか、と疑われる。


肌の露出は、確かに男の気を引くけれども、慣れてしまうと勃たなくなるのだね。
そのへんを女は勘違いしているのか知らないけど、そもそもハダカは別にエロくないの
ですよ。エロい目で見るからエロいだけであって。


じゃあ、エロい目っていうのは何かというと、ふだんは隠されているものを暴く妄想に
基づいているのではないかと。
そこを焦らして焦らして、焦らし抜いた挙句、男がフンガーッとなるまでエネルギーを
蓄えさせるのが、女の戦略、というものではないかと思うのであります。
そんで、日常のイメージとの落差が大きいほど、男がフンガーッとなるんじゃないかと。


ただ、フェティシズムというのがあるので、何に興奮するかは人それぞれ違う。
女子高生のスカートの中を盗撮して捕まるオッサンがいるけど、あんなもの見たって
なんてことはないのだ。
ただ、盗撮する本人は興奮するんでしょうな。
見えそうで見えないことにフンガーッとなるのかもしれない。


そういうわけで、女が肌を露出すると、確かに簡単に欲望のスイッチは入るのだが、
あんまりスイッチを押しすぎるとバカになってしまうので、女はその辺を戦略的に考える
べきですよ、ということが言いたかったの‥‥かな? 


そうそう、「めちゃイケ」のモー娘。修学旅行編で、最後に岡村がステージで恋レボを
完璧に踊ったとき、腋毛を処理してたのを思い出した。
芸人として素晴らしい仕事だと思った。
おしまい。