映画のリメイク

映画館で予告編を見てると、もうすぐ「ポセイドン・アドヴェンチャー」や
オーメン」のリメイクが公開されるみたいだ。


オーメン」なんて、私が中学生ぐらいのときの作品だから、当然いまの若い人は
知らないわけである。
666は悪魔の数字だ、なーんて話をしても、きょとんとされるだろう。


そういう意味では、リメイクをやってオッサンと若者の共通の話題ができるのは
嬉しいのだが、このところのハリウッド映画のリメイクの多さはいかがなものか、
とも思う。


いや、たいていの映画は40年代や50年代の作品のパクりだよ、という人もいる
だろう。物語の構造は、それほどバリエーションがあるわけではないから、
その通りですね、と言わざるを得ないのだが、私が言いたいのは、同じプロットで
同じストーリーの、そのまんまのリメイクのことである。


理由は分かっている。
巨額の予算がかかるために、事前にヒットが予測できないような企画には出資
できないからだ。


そうすると、以前にヒットした作品を現代風にアレンジして制作しましょう、と
いう話になるだろう。
なに、CGをたっぷり使って人気俳優を出しておけば、客なんて満足しますよ、と
経営者は言うだろう。


彼らは映画を愛してなんかいないから、とりあえず四半期の経常利益が前年比で
上がれば株主に対して責任をとれるのである。
そういう人に、好きな映画は何ですか、と聞いてみたいものだ。


ビリー・ワイルダーの自伝によると、彼がナチスを逃れて米国に来てハリウッドで
脚本を書き始めたころ、スタジオは何人もの脚本家を抱え、一日中タイプライターを
打たせていたそうだ。
伝説の大プロデューサーがいた、古き良き時代の話である。

ビリー・ワイルダー自作自伝

ビリー・ワイルダー自作自伝


いまは、そんなことにコストをかけてはいられないのだろう。
効率を求める社会では、脚本なんて早くてオチのある話が書いてありさえすれば
それでいいのかもしれない。


日本のドラマだって、オリジナルの脚本で面白い作品は激減した。
いまやマンガや小説の原作のドラマが大ヒットしている。
どうした、脚本家? 


娯楽には、something new な何かが欲しい。
構造は同じでも、何か新しいことをやってやろう、という気概が見たいのである。


その点で、映画「ダ・ヴィンチ・コード」はがんばっていたと思う。
面白いかどうかは別として、人に期待させるものはあった。
恐らく、小説が良かったのだろう。


米国の音楽や映画で、something new なものがあまり発見できなくなって
いるような気がする。
私が単に歳をとって鈍くなっているだけかもしれないが。


面白い企画や脚本が、MBAを持った役員たちに握りつぶされてなければいい
んだけどね。