教養っつーのは何?

内田樹の「14歳の子を持つ親たちへ」という本の中で引用されていたと思ったけど、
教養というのは


something について everything を知っていると同時に
everything について something を知っていることだ


とあった。うむ、と深く唸ってしまった。
私は something について something しか知らないんだから、どうしようもない。
この歳で、何の職能も極めてないのだ。ただのバカである。


一方の everything についても something しか知らぬ。最低だ。
しかも、everything がどういうものかも把握できていない。
いや、少なくとも中学生よりは分かっていると思うけど、アリストテレスじゃあるまいし、
現代のあらゆる分野について何か知っているなんて人間は、そういないだろう。


そう考えると、教養を身につける第一歩は、自分がいかに何も知らないかを知るという
ことで、こんなのはすでに「無知の知」という言葉で大昔に語られている。


ところが、いまや「教養なんて何の役に立つの?」という時代だ。
自分に関係ないことは何も知ろうとしないし、知らないことを恥とも思わない。
これはどうしてだろう。


ひとつは、過去のものは古いもので、古いものは役に立たないものだから、そんなことに
時間を使ってもしょうがないじゃないか、という思想がいきわたっているからでしょうな。
技術というのはそういうもので、老人たちが若いときは、SP盤で音楽を聴いていたけど、
いまはiPodですよ。


私は、この技術進歩主義が、古典・クラシックというものを根絶やしにしてしまったのでは
あるまいか、と邪推している。


そして、この技術進歩主義は、自らが浅い歴史しか持たないがゆえに、常に新しいものは
素晴らしいと連呼しなければ精神の安定を保てない米国から来ていると思う。


と、悪者を発見して喜ぶのも愚かだけど。