Boaz2014-02-11

藤田和日郎のツイートから

この前、中2のムスコ量多が、訊いた。
「じっちゃんの名にかけて、のじっちゃんって誰?」
金田一耕助だろ?」
「きんだいちこーすけ……。知らない。」
「なっにィィィ〜〜!?」

もうひとつ、似たようなコピペ

最近クリエイター志望の若者と話す機会が多いのだけれど、そこで気づかされるのは、
彼らの中に過去の映画(特に80年代以前の作品)を見たことのあるという人が、驚くほど少ないことだ。

例えば「キューブリックをどう思う?」と聞くと、「キューブリックって誰ですか?」
という答えが返ってくる。「デ・ニーロの映画で何が一番好き?」と聞くと、「見たことがありません」
と言われてしまう。「ではきみは、昔の映画を見たことがあるの?」と聞くと、たいていが「テレビでやっていたものくらいなら……」という答えしか返ってこない。

今の若い人の間では、映画を体系的にとらえようという人は少ないようだ。見るのは専ら近年の話題作ばかりで、歴史を辿ってみたり、系譜をひもといてジャンルごと理解しようとする人はほとんどいない。


これ、私もうすうす感じていた。
どうもネット世代の人たちは、基本的に古いものは無駄と思っているらしい。
キューブリック知りませんけど、何か? みたいな。
そんなの検索したらサクッと分かるじゃないっスか、というお子様っぷり。


その一方で、おすすめの作品教えてください、と書き込むのも彼らである。
おすすめというのは、自分が気に入りそうな新しいものでまだ見てないやつ、
という意味だろう。



体系的な知識は、最低でもこれくらいは知ってないと恥ずかしい、という
感覚があって、自分で構築するものだと私は思う。


それがなくなったということは、これぐらいは知っているであろうという
知識の共有が、ある世代から断絶してしまったということだ。


その断絶の原因は何だろう? 
サブカルチャーが細分化したからか。


しかし昔から、オタクは詳しい分野はとことん詳しい、つまり狭い範囲の
体系的な知識を構築していたはずである。
もしかして、ロボットアニメが作りたいです、という若者が、ファースト
ガンダムを見てない、ということがあるのだろうか。
上でコピペしたものは、まさにそういう話だと思うが、エヴァンゲリオン
以前は知りませんが何か? という若者はたくさんいそうで怖い。



だが、明治時代あたりの知識人は、最低限の漢籍を子供のときから叩き
こまれていたはずで、その漢籍の教養はいつしか失われた。
その意味では、昭和のオッサンも前の世代から断絶されているのである。


映画や文学作品も、いずれは漢籍のような運命をたどるのかもしれない。
マンガやアニメもその後に続き、ものすごく有名なものの名前ぐらいを
知っているだけで十分だと言われるようになるのかも。


こういうものは、誰かがしつこく、これは見とけ、これは読んどけ、と
言い続けないといけないのだろう。