どうもノレない」という文を書いていた。
どうも私は散文を読むセンスが欠落していて、韻文ベース
でしか言葉に向き合えないタチらしい。文章において一番
重要だと感じるのがリズムや音韻、その次がイメージ。
ぎりぎり理解できるのはキャラクターで、一番興味がない
のはストーリー。1ページ目から順に読んでいかないと
意味がとれない本はどうも肌に合わず、好きなところから
読みたい性分だ。ちなみに漫画も長編ものはあまり読まなく
て、4コマ漫画が一番すき。
しかも小説は、散文でストーリーを書こうとする。音楽的な
心地よさとストーリーの整合性はたいてい食い合わせが悪い。
とある。
私とはまったく逆なので、世の中にはそういう人がいるのかと
驚いた。韻文を楽しめるのはうらやましい。
↓
引用した「音楽的な心地よさとストーリーの整合性はたいてい
食い合わせが悪い」というのは、なるほどと思うところだ。
というのも、散文ストーリー派の私が肌に合わないのが、まさにこの
音楽的な人の作ったものだからだ。
といっても文学ではなく、アニメである。
志倉千代丸、じん、麻枝准はミュージシャンでもあるクリエイターで、
彼らの原作のアニメ作品が、私には全くヒットしなかった。
(麻枝准などはとても良い曲をつくるので、作曲家の道を進んだ方が
よかったのでは、とさえ思う)
音楽的な人は物語と相性が悪い。
もしかしたら山田航が彼らの作品を見ると楽しめるかもしれない。
ただ、なぜか幾原邦彦のアニメは優れたものだと思える。
特に2010年代の「転るピングドラム」「ユリ熊嵐」「さらざんまい」は
詩的で音楽的で、物語がよく分からない作品だったが、不思議と面白かった。
彼がミュージシャンではないからだろうか。