1月23日付の朝日新聞に、山田航という歌人が「『物語』には

どうもノレない」という文を書いていた。

 どうも私は散文を読むセンスが欠落していて、韻文ベース

でしか言葉に向き合えないタチらしい。文章において一番

重要だと感じるのがリズムや音韻、その次がイメージ。

ぎりぎり理解できるのはキャラクターで、一番興味がない

のはストーリー。1ページ目から順に読んでいかないと

意味がとれない本はどうも肌に合わず、好きなところから

読みたい性分だ。ちなみに漫画も長編ものはあまり読まなく

て、4コマ漫画が一番すき。

 しかも小説は、散文でストーリーを書こうとする。音楽的な

心地よさとストーリーの整合性はたいてい食い合わせが悪い。

とある。

私とはまったく逆なので、世の中にはそういう人がいるのかと

驚いた。韻文を楽しめるのはうらやましい。

 

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引用した「音楽的な心地よさとストーリーの整合性はたいてい

食い合わせが悪い」というのは、なるほどと思うところだ。

というのも、散文ストーリー派の私が肌に合わないのが、まさにこの

音楽的な人の作ったものだからだ。

 

といっても文学ではなく、アニメである。

志倉千代丸、じん、麻枝准はミュージシャンでもあるクリエイターで、

彼らの原作のアニメ作品が、私には全くヒットしなかった。

麻枝准などはとても良い曲をつくるので、作曲家の道を進んだ方が

よかったのでは、とさえ思う)

 

音楽的な人は物語と相性が悪い。

もしかしたら山田航が彼らの作品を見ると楽しめるかもしれない。

 

 

ただ、なぜか幾原邦彦のアニメは優れたものだと思える。

特に2010年代の「転るピングドラム」「ユリ熊嵐」「さらざんまい」は

詩的で音楽的で、物語がよく分からない作品だったが、不思議と面白かった。

彼がミュージシャンではないからだろうか。