- 作者:司馬 遼太郎
- 発売日: 2005/10/13
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
うまいものを食べるということはない。
ただ、上代からの十津川の歴史について語っていくうちに、いつの間にか
到着している、という感じがする。
明治22年の大水害で村が壊滅的な被害を受け、2691人が北海道に移住し、
新十津川村を作った、と書いてある。
ちなみにその十津川の子孫には、水曜どうでしょうの鈴井貴之がいる。
いま松山ではちょうどカブで土佐に行くやつをやっており、そろそろ
紀伊半島にかかろうかというところなので、楽しみである。
あと、印象に残ったのは
近代国家(国民国家)という、住民を国民にしてしまった人類史上
もっとも重い国家は、さほど古い歴史をもっていない。この国家は、
その出発(フランス革命)において国民皆兵を前提としたから、その
程度の古さでしかない。フランスの場合、フランス革命を守るという
ことで国民皆兵をやりながら、こんどはフランス革命を普及させる
という名目でナポレオンがこの制度を徹底的にこきつかい、
ヨーロッパを席巻した。明治維新で国民国家になった日本は当然
ながらこれを採用(1872)した。私どもが突如兵営に入れられる
ことになったのは昭和18(1943)年だから、71年しか経っていない。
はるかなる古代からこの島に住んでいた人間の連鎖の時間からいえば、
若すぎる歴史である。
徴兵の歴史はその程度でしかなかったが、当時、二十歳だった私には
古代からこの島に生まれた以上、そう宿命づけられているようにも
一方ではおもった。さらに別な一方では、私がはじめたわけでもない
戦争が、うまくゆかなくなっていた。旧制中学の生徒監を連想させる
東条という人間の、これが一国の首相かと思われるほどにおろかな声、
内容、陳腐な言葉の羅列による演説が、いまでいえばちょうど葬儀屋の
スピーチとおなじメリハリの調子でもってラジオ放送されていた。
ひとびとは公田に縛られた律令国家の農民が労役に駆りだされるのと
おなじ不可抗力さと天然自然さで兵隊にとられつづけていた時代だった。
この近い過去を思うと、つい気持がたかぶってくる。
(p84-85)
という部分だった。
徴兵される前になにか思い出を作っておこうと、司馬遼太郎は友達3人と、
十津川村から熊野の新宮へ徒歩旅行に行くことになった。
しかし山奥で道に迷って、あるお寺の納屋で一泊した。
再び十津川村を訪れた司馬遼太郎がその寺の消息をたずねるのだが、
わりと劇的な事実が明かされる。
そこはぜひ読んでいただきたい。