Boaz2015-04-29

安部首相の米国議会合同会議での演説をぼんやり聞いて、途中でチャンネルを変えた。
この儀式は何のためにあるのだろう。


英語圏の人がネイティブスピーカーの前で英語で演説するのは、かなり屈辱的な
ことだと思うのだが、そんなことはないのだろうか。
日本の国会で外国の政治家が日本語でスピーチする、と仮定したら、その変な感じが
分かると思う。


核兵器を持っていない国は、パワーゲームのプレーヤーにはなれないから、せめて
演説でもして媚を売らなければならないのか。



日本の首相が長い間このスピーチをやらなかったのは、招待されなかったからだと
思うが、なぜ米国は招待しなかったのか。


わざわざ話を聞くまでもなく、日本の政治家を思い通り動かせたからだろう。


あるいは、まだ力があった左派を刺激しないためだったのかもしれない。


だが、ここまで露骨に日本の属国化を明示するようになったのは、民主党政権
崩壊して自民党が圧勝してからだ。
と同時に、中国の海洋進出の圧力が増してきたからでもあろう。


要するに、米国のジャパンハンドラーたちも、日本の売国奴たちも、なりふり
構っていられなくなった、ということだ。



かなり長いスパンで見た場合、中国共産党は必ず崩壊する。
というか、させなければならない。プーチンも永遠に生きるわけではないから、
必ず死ぬ。


そのとき、ユーラシア大陸はどうなるのだろうか。


戦争が勃発する確率は高いかもしれないが、どうにかソフトランディングする
ことだって可能かもしれない。


もし、中国に民主的な政府が誕生したら、米国はどうするのだろうか。
普通選挙で政治家を選び、言論の自由が保証された China を想像することは
難しいかもしれないが、もしそういう国になったとしたら、米国は手のひらを
返したように中国と仲良くなるだろうか。


そして、そのとき日本にはどういう選択肢があるのか。



中国の圧力に対抗して米国と協調するのは現実的な手段だと思う。
しかし、中国がいつまでも一党独裁体制のままであり続けるのも疑問だ。


日本はもっと大胆で狡猾な構想を持っていないと、ただの捨て石にされるだけ
だと思う。
国家百年の計という言葉は、そういうときのためにあるのではないか。