安部首相の米国議会合同会議での演説をぼんやり聞いて、途中でチャンネルを変えた。
この儀式は何のためにあるのだろう。
非英語圏の人がネイティブスピーカーの前で英語で演説するのは、かなり屈辱的な
ことだと思うのだが、そんなことはないのだろうか。
日本の国会で外国の政治家が日本語でスピーチする、と仮定したら、その変な感じが
分かると思う。
核兵器を持っていない国は、パワーゲームのプレーヤーにはなれないから、せめて
演説でもして媚を売らなければならないのか。
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日本の首相が長い間このスピーチをやらなかったのは、招待されなかったからだと
思うが、なぜ米国は招待しなかったのか。
わざわざ話を聞くまでもなく、日本の政治家を思い通り動かせたからだろう。
あるいは、まだ力があった左派を刺激しないためだったのかもしれない。
だが、ここまで露骨に日本の属国化を明示するようになったのは、民主党政権が
崩壊して自民党が圧勝してからだ。
と同時に、中国の海洋進出の圧力が増してきたからでもあろう。
要するに、米国のジャパンハンドラーたちも、日本の売国奴たちも、なりふり
構っていられなくなった、ということだ。
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かなり長いスパンで見た場合、中国共産党は必ず崩壊する。
というか、させなければならない。プーチンも永遠に生きるわけではないから、
必ず死ぬ。
そのとき、ユーラシア大陸はどうなるのだろうか。
戦争が勃発する確率は高いかもしれないが、どうにかソフトランディングする
ことだって可能かもしれない。
もし、中国に民主的な政府が誕生したら、米国はどうするのだろうか。
普通選挙で政治家を選び、言論の自由が保証された China を想像することは
難しいかもしれないが、もしそういう国になったとしたら、米国は手のひらを
返したように中国と仲良くなるだろうか。
そして、そのとき日本にはどういう選択肢があるのか。
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中国の圧力に対抗して米国と協調するのは現実的な手段だと思う。
しかし、中国がいつまでも一党独裁体制のままであり続けるのも疑問だ。
日本はもっと大胆で狡猾な構想を持っていないと、ただの捨て石にされるだけ
だと思う。
国家百年の計という言葉は、そういうときのためにあるのではないか。