ノートルダム大聖堂の火災は、日本でいうなら法隆寺とか金閣寺

焼け落ちたようなものだろう。フランス人にとって大きな喪失感が

あることは想像できる。気の毒なことだと思うし、時間をかけて

再建できたらいいなと思っている。

 

 

その気持はちょっと脇に置いて、思考実験をしたい。

今回のノートルダム大聖堂の火災を、イスラム教徒はどう見ている

のだろうか。

穏健な人々は共感して哀悼の意を表していると思う。

だが、フランスに恨みのある人々はどうなのだろう。

 

 

もし、過激なイスラム教徒の発行する新聞に、キリスト教徒に

罰が当たったのだ、ざまぁみろ、という風刺画が掲載されたとする。

そのことに怒り狂った極右のフランス人が、新聞の編集部を襲撃して

編集者を殺したとしたら、どうなるだろうか。

フランス人は言論の自由を訴えてデモをするのかどうか。

 

 

上記の私の妄想の立場を入れ替えたのが、シャルリー・エブド襲撃

事件である。

フランスでは政治家も参加した大規模なデモが行われた。

ノートルダム大聖堂の悲劇をからかうような表現があったとしても、

やはり言論の自由を守ると断言するだろうか。

私は怪しいものだと思っている。