復讐するは我にあり

復讐するは我にあり (文春文庫)

復讐するは我にあり (文春文庫)

1963年(昭和38年)に全国を逃亡しながら5人を殺した男の実話をもとに
その行程を詳しく描いたノンフィクション小説である。


本人の内面を書いているわけではないので、淡々と詐欺やら殺人やらの
事実が重ねられていく。


私からみると、行き当たりばったりで追い詰められた愚かな男である。
五島列島出身でカトリック教徒だったから、キリスト教的な原罪みたいな
ものを連想するかもしれないが、たぶん関係ない。


現在では、ネットによって、異常なまでに攻撃的な人や自己中心的な人が
可視化された。
そういう人たちが、この小説の主人公みたいに、何かのきっかけで人殺しを
しながら逃亡することになっても驚くに値しない。
宗教がどうとかいう話ではないのである。


それよりも、私は主人公のコミュニケーション能力に感心した。
大学教授や弁護士を騙って詐欺を働いたり女を口説いたりしている。
こういうギラギラした生きる力が羨ましい。


連続殺人事件はいくつも起きているが、このレベルの小説まで仕上げたものは
稀であろう。


で、読み終わってしばらくしてから映画を見た。

あの頃映画 「復讐するは我にあり」 [DVD]

あの頃映画 「復讐するは我にあり」 [DVD]

今村昌平監督作品なので期待していたのだが、どうも原作小説と趣が違う。
緒形拳は熱演していたものの、父親役の三國連太郎が主役みたいになっている。


原作には主人公の妻と義理の父の関係について何も無いように読めるのだが、
映画では妻役の倍賞美津子がやたらと三國連太郎を誘惑するのである。
あれはどういう解釈だったのだろう。
(ちなみに倍賞美津子のおっぱいはすごかった。これだけは一見の価値ありである)


それに、主人公が逮捕されるきっかけになった、11歳の少女に弁護士ではないと
見破られるところもカットされていた。
当時はそこを描くことはできなかったのかもしれないが、最もスリリングな場面
なのに惜しいことをした。


最後に主人公の骨を山の上からばら撒くシーンがあって、骨が落ちるところで
画面が止まる。それが何度も繰り返されるのも、意味が分からなかった。
あそこにはどういう意図があったのか。


時系列も複雑になっており、原作小説を読まずに見たらちょっと混乱するのでは
ないかと思う。


ただ、昭和のエネルギッシュな猥雑さが至るところに現れていて、そこは懐かしい
というか面白かった。