京都ぎらい

京都ぎらい (朝日新書)

京都ぎらい (朝日新書)

面白かった。今年の新書で一番かもしれない。
京都市の中心部で生活している人々の差別意識を炙りだした怪著である。


著者の井上章一京都市の嵯峨で生まれ育っている。
地図で見ると、京都市の中心部から西にある郊外である。
京都市の中京区や下京区の人からすれば、嵯峨は洛外の田舎だそうだ。
だから、そういう人に京都市出身とは言ってほしくない、と。


こういう差別は他の土地にもあるだろう。
東京でも、世田谷区や杉並区の人が、なんとなく足立区や荒川区の人を
バカにしているような感じがある。


しかし、京都の洛中の人々の中華思想はもっと強烈だ。
そのことを、実例を挙げながら描いたのが本書である。
井上章一、よく書いた! と絶賛する人も多いだろうが、おそらく京都の
人からは徹底的に無視されるだろう。


この本が京都大学の生協でどのくらい売れているかも知りたいところだ。



「京都ぎらい」では、西陣生まれの梅棹忠夫が嵯峨のことを田舎扱いし、
その西陣生まれの梅棹を中京の新町御池生まれの男がバカにする話がある。


こういう差別を突き詰めていくと、最終的には皇室であるかどうか、という
話になってしまうのではないか。
実際、京都の名家は平安時代からの家格を重んじているところも多いのだろう。


彼らによって保たれている文化もあることは認めるが、鼻で笑われるのも腹が立つ。


それから、本書では主に男性の井上章一の視点から差別が描かれているが、
洛中の家に他の土地から嫁いできた女性に対するいじめは壮絶なものがあった
のではないか。
文字通りいびり殺された人もたくさんいるに違いない。
そのあたりの話を女性の研究者がやってくれたらいいのだが。



多くの人が中高生のときに修学旅行で京都を訪れたことがあると思うが、
たいていの若者は寺社仏閣にほとんど興味がなく、京都というとなんか
お寺があったな、ぐらいの記憶しかないのではなかろうか。


私は友だちが立命館大学に通っていたので、東京から帰省する途中に京都の
下宿に立ち寄ったことが何度かある。
しかし、そのときも寺社仏閣を訪れたことはなかった。
いま考えると惜しいことをした。


オッサンになって、そういえばちゃんと京都を見物したことがないな、と
思って、数年前にかなりベタな京都観光をしたことがある。
清水寺とか三十三間堂を巡ったりして、なるほど京都はいいものだと思った。


しかし、こういう態度が京都の洛中の人をつけ上がらせるのだろう。
どうせなら修学旅行コースから京都を外したらどうだろうか。
中高生ならUSJやディズニーランドの方がよほど楽しいに違いない。


が、そんなことをしても「やかましいのがおらんなって、よろしおすな」
と嘯くだろうけど。



一乗寺の天下一品ラーメン本店を出て、東本願寺近くのホテルまでタクシーで
帰るとき、運転手が「坊主とヤクザは同じような店に行きますなぁ」と話を
してくれた。


その話を裏付けるようなエピソードも本書にあるので、興味のある方はぜひ
ご一読いただきたい。


ところで、京都のような歴史のある都市の住民は、みな同じような差別意識
あるのだろうか。
たとえば北京とかローマなどにも、そのような人々がいるのか知りたい。