Boaz2015-06-13

地方国公立大学の人文系の学部は役に立たないから無くせ、という話がある。


この、無駄とか役に立たないというのは、ある基準で誰かが判断しているはずだ。
それは誰なのだろう? そして、どういう基準で決めているのだろう? 



難しいものごとを決めるのに、全員の意見を一人づつ聴いていたら、時間が足りない。
それに、全員一致することはまずないので、多数決になる。


憲法改正のような大きな問題は、国民投票をしなければ決められないことになっている。
大阪都構想のような問題も、住民投票が行われた。


どうやら、問題の大きさと利害関係者の人数によって、どのくらいの規模の投票を
するべきか決っているようである。


だが、ほとんどの問題は、予め投票で選出された議員たちが話し合って、議員たちだけ
で決める仕組みだ。
本当はその影に官僚とか企業がいるのだが、建前ではそういうことになっている。



では、地方の国公立大学の人文系に関わる人たちは、どのくらいいるのだろうか。


文科省統計によると、平成17年の国公立大学の教員数は7万2363人だった。
短大は1453人なので、合計すると7万3816人である。
また、職員数は6万8911人だった(短大含む)。


つまり、合計14万1274人が、何らかの利害関係者となるわけである。
これに学生を含めると、もう一桁多くなるかもしれない。


ざっと丸めて100万人近い人が関係するものに対して、無駄だとか必要ないと
言ってのけるのは、よほどの根拠があるからだろう。



世の中には世界遺産のような、お金では換算できないような価値のあるものが
存在する。


それは、一度破壊すれば二度と再生できないようなものがほとんどだからだ。
観光地として金儲けのために役に立つから、というのは二次的な理由である。


駅弁大学とバカにされようが、地方で時間を重ねて蓄積したものを破壊する
行為は許されるべきではないだろう。


話が飛躍するかもしれないが、ISがシリアの遺跡をぶっ壊すのと同じような
蛮行なのではなかろうか。
金儲けに役立たないものは無駄である、という考え方は間違っている。