思っているけれども、マクロ的な視点でながめたとき、はたして地方の
公立高校は大丈夫なのか、という疑問も出た。
というのも、本書では名門校とされる指標が、東大をはじめとする旧帝大
などの難関校の進学率になっているからだ。
もちろんそれだけではなく、文武両道であるとかユニークな行事があるとか
触れられているが、何が名門校というブランドを支えているかといえば、
明らかに進学実績である。
で、それは地方から優秀な学生を東京などの大都市に送り続けるという
ことでもある。
そして大都市で就職した人たちは地方には戻ってこない。
首都圏に人口が集中する理由である。
そうすると、身も蓋もない言い方になるが、地方には優秀でない人が
残る。そういう人ばかりなので、ますます衰退していくという悪循環
に陥る。
なので、いくら地方公立名門校などと持ち上げられても、素直には
喜べないのである。
本書の巻末には著者が山形の進学校で講演した内容が収録されて
いて、いいことを言っているのだけれど、このような講演はたいてい
東京の人が地方に出かけている。地方から東京に行って講演している
人はあまりいないのではないか。
そういう格差について、大都市の人はあまり気にしていないように
思える。
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私の出身校は、東大や京大に毎年あわせて5人ぐらいは合格するが、
ほとんどの人は地元の愛媛大学に進学する。
そして多くは教員になる。
他の地方の進学校も、だいたいそんな感じではないかと思うが、
これの弊害は、学校の先生がずっと地元でしか生活していないから、
視野が狭いということである。
要するに田舎者が田舎者を教えていて、それ以外の価値観を理解
できないのだ。
今はネットの情報があるから昔ほどではないと思うが、私が学生の
ころはひどい教師が多かった。
そのせいかどうかは分からないが、なぜか地方公立の進学校は
国公立大学しか認めない教員が多い。
早慶上智ならまだしも、MARCHクラスだと地元の国立大の方が
いいと思っているようだ。
私も無理やり高知大学を受験させられて落ちている。
あの、私立大学に向けられた侮蔑は何なのだろうか。
少なくとも文系ならば、四国の国立大学よりもMARCHクラスの
私大に進学した方がいいと思うのだが。
(学費を考えなければの話ではあるけれど)
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もうひとつ、本書を読んで大都市の私立進学校について思うのだが、
中学受験の受験勉強は、長い目で見たとき意味があるのだろうか。
地方公立進学校の生徒のほとんどは、中学受験をしていないだろう。
ということは、あの難しい算数の問題をスルーしているわけである。
有名な私立中高一貫校から東大に進学した生徒と、地方公立進学校から
東大に進学した生徒で、どのくらい違いがあるのか知りたいものだ。
中学受験は、もはやサピックスなどの塾産業のためにあるのでは
ないか、とさえ思っている。