偉大なる、しゅららぼん

これは万城目学にしては、ちょっと失敗したのではないか。
もちろん面白かったのだけれども、主人公の涼介の一人称で書くよりも、
三人称で書いたほうが良かったような気がする。


というのも、もう一人の主人公である淡十郎が、涼介の視点だけだと
うまく描ききれていないような感じなのだ。


また、日出家と棗家を襲った校長の力の正体は何か、というミステリ的な
趣向と物語がうまくブレンドされていないというか、無理をしているよう
な印象がある。


この作品が直木賞にノミネートされなかったのも、そういう部分があった
からではなかろうか。


と、イチャモンをつけてしまったけれども、読み始めるとやっぱり面白い。
滋賀県に行ってみたくなるほどだ。
(ずっと昔、私は乗り換えを間違えて湖西線近江塩津駅で途方に暮れた
ことがある。あの時ほど時刻表を熟読したことはない)


京都、奈良、大阪、滋賀ときて、次はどこを舞台にするかと思っていたら、
とっぴんぱらりの風太郎」では再び大坂に戻ってきた。
また現代もので和歌山か兵庫を舞台に物語を書いてほしい。



映画「偉大なるしゅららぼん」が準新作になって安くなったので借りた。
最初からあまり期待していなかったので、それほどがっかりすることは
なかったのだけれど、やはり小説の方が圧倒的に良かった。


映画は、お客を呼ばなければならないから、美男美女を出さなければ
ならない。それはよく分かる。
分かるのだが、この映画の場合は、小説で面白かったツボをほぼ外して
いるので、よけいにキャスティングがひどく見える。


やはりデブを出してはいけないのだろうか? 
小説では「ブタん十郎」とか「清コング」というアダ名が良い味になって
いたのだが、映画ではそれぞれ濱田岳深田恭子だったので、そのアダ名は
一切なかった。
せめて、清子は渡辺直美にしてほしかった。


万城目学の小説では、小太りの男がよく出てくるけれども、若手俳優
小太りの人ならこの人、というのがいない。
プリンセス・トヨトミ」の鳥居だったら、ハライチの澤部がいいと
思うのだが、淡十郎は学生なので、もう少し若さがほしい。


小太りのオッサンならいくらでもいるのに、小太りの若手がいないのは、
逆に考えたらチャンスである。
童顔で小太りの俳優がブレイクするきっかけになるかもしれない。


蛇足ながら、パタ子さんを演じた貫地谷しほりは良かったのだけれど、
小説では180cm近い長身となっており、そういう女優もなかなかいない
のが残念である。



映画から感じられるショボさは、おそらく大きい予算の作品ではなかった
ことを推測させる。
なので、ここ一番という見せ場以外は、なるべくお金がかからないように
撮影されており、その意味でも不幸な作品である。


万城目学も、宮部みゆきと同じく、小説は面白いのに映像化するとダメ、
という作家なのかもしれない。


というより、映像化する側に才能のある人がほとんどいないのだろう。
いても誰も育てていないのだと思う。
もったいない話である。