- 作者: 万城目学
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2013/12/13
- メディア: 文庫
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もちろん面白かったのだけれども、主人公の涼介の一人称で書くよりも、
三人称で書いたほうが良かったような気がする。
というのも、もう一人の主人公である淡十郎が、涼介の視点だけだと
うまく描ききれていないような感じなのだ。
また、日出家と棗家を襲った校長の力の正体は何か、というミステリ的な
趣向と物語がうまくブレンドされていないというか、無理をしているよう
な印象がある。
この作品が直木賞にノミネートされなかったのも、そういう部分があった
からではなかろうか。
と、イチャモンをつけてしまったけれども、読み始めるとやっぱり面白い。
滋賀県に行ってみたくなるほどだ。
(ずっと昔、私は乗り換えを間違えて湖西線の近江塩津駅で途方に暮れた
ことがある。あの時ほど時刻表を熟読したことはない)
京都、奈良、大阪、滋賀ときて、次はどこを舞台にするかと思っていたら、
「とっぴんぱらりの風太郎」では再び大坂に戻ってきた。
また現代もので和歌山か兵庫を舞台に物語を書いてほしい。
↓
映画「偉大なるしゅららぼん」が準新作になって安くなったので借りた。
最初からあまり期待していなかったので、それほどがっかりすることは
なかったのだけれど、やはり小説の方が圧倒的に良かった。
映画は、お客を呼ばなければならないから、美男美女を出さなければ
ならない。それはよく分かる。
分かるのだが、この映画の場合は、小説で面白かったツボをほぼ外して
いるので、よけいにキャスティングがひどく見える。
やはりデブを出してはいけないのだろうか?
小説では「ブタん十郎」とか「清コング」というアダ名が良い味になって
いたのだが、映画ではそれぞれ濱田岳と深田恭子だったので、そのアダ名は
一切なかった。
せめて、清子は渡辺直美にしてほしかった。
万城目学の小説では、小太りの男がよく出てくるけれども、若手俳優で
小太りの人ならこの人、というのがいない。
「プリンセス・トヨトミ」の鳥居だったら、ハライチの澤部がいいと
思うのだが、淡十郎は学生なので、もう少し若さがほしい。
小太りのオッサンならいくらでもいるのに、小太りの若手がいないのは、
逆に考えたらチャンスである。
童顔で小太りの俳優がブレイクするきっかけになるかもしれない。
蛇足ながら、パタ子さんを演じた貫地谷しほりは良かったのだけれど、
小説では180cm近い長身となっており、そういう女優もなかなかいない
のが残念である。
↓
映画から感じられるショボさは、おそらく大きい予算の作品ではなかった
ことを推測させる。
なので、ここ一番という見せ場以外は、なるべくお金がかからないように
撮影されており、その意味でも不幸な作品である。
万城目学も、宮部みゆきと同じく、小説は面白いのに映像化するとダメ、
という作家なのかもしれない。
というより、映像化する側に才能のある人がほとんどいないのだろう。
いても誰も育てていないのだと思う。
もったいない話である。