プリンセス・トヨトミ

プリンセス・トヨトミ (文春文庫)

プリンセス・トヨトミ (文春文庫)

面白かった。
大阪の空堀商店街に行って、お好み焼きが食べたくなる小説だった。


父から息子に託す物語の裏で、女性は見て見ぬふりをして黙っている。
そういう佇まいが、大阪のインテリジェンスを感じさせてよかった。
なので、ジェンダー的に中間に存在するセーラー服姿の男子中学生が
描かれているのだろう。


会計検査院の3人のキャラ立ちも抜群によかった。
万城目学の別の小説でも出てほしいぐらいである。
そういえば「鹿男あをによし」に出ていた大阪女学館の先生が少し
だけ登場していて嬉しかった。



私が印象に残ったところを引用してみる。
発表当時は、まだ亡くなっていなかった高倉健のことを語った部分だ。

若き日の高倉健任侠映画を、茶子は小学生の頃から、おばの横で何十本と
観てきた。どんな理不尽な仕打ちにも、黙って耐える健さん。しかし、最後の
一線を越え、二度と戻らない大事なものを壊されたとき、ついに健さんは立ち
上がる。そのあとの健さんの強さといったら――もう、もう。(文庫版 p 354)

最後の「もう、もう。」という言葉に、健さんに対する思いが詰まって
いて、ちょっと涙ぐみそうになった。


もう一か所。

「それは父の言葉だからだ、松平さん」
と幸一は即座に答えた。
「あのトンネルを二人だけで歩く。ゆっくりと、父親の歩調に合わせて。行きと
帰りで、一時間から二時間はかかる。そのとき、子は父から真実を伝えられる。
松平さん――あなたは大人になってから、一時間でも、父親と二人だけの空間で
話し合ったことがあるか?」
幸一の問いに、松平は何も答えなかった。ただ、太い眉の間に深いしわを寄せ、
幸一の真摯な視線を受け止めた。
「そう――男は普通、そんな時間を一生持たない。父と子が二人だけで歩む
トンネルでの往復の時間は、二度と持つことができない二人だけの記憶になる。
そこで託される言葉は、二度と聞くことができない二人だけの約束になる。なか
には、父の言葉を信じられない者もいるだろう。あなたのように半信半疑の者も
いるだろう。だが、今日、この風景を見て、誰もが父親の言っていたことが、
本物だったことを知る」(文庫版 p 472)

実際、私もずっと働き続けていたら、父とほとんど会話することもなかった
と思う。いまは温泉施設に連れて行くクルマの中で小一時間ぐらい話をして
いるので、父の言葉の重みというものはなくなっているのだが、それでも
幸せなことなのだろう。



映画化されたものも見た。


役者たちの熱演には申し訳ないのだが、もし日本にゴールデンラズベリー賞
あれば、監督賞と脚本賞のダブル受賞は間違いなかっただろう。


特に脚本は、小説の面白い部分だけを丁寧に取り外し、父から息子に伝える
という作品の根本的なテーマを消すという、物語をつまらなくする才能に溢れ
ていた。


この映画を製作した人たちは、今後二度と万城目学の小説に関わらないでほしい。


個人的には、万城目学の小説を映像化するのなら、実写よりもアニメの方が
いいのではないか、という気がする。
それも、京都アニメーションなら傑作が生まれるだろうと思っている。