劇場版魔法少女まどか☆マギカ 新編 叛逆の物語

昨日の最速上映はチケットが完売で入れず、初日のレイトショーで
見てきた。ほぼ満席だったがミニ色紙はゲットできた(ほむまど)。


※以下、個人の感想です。ネタバレもあります。















カタルシスがあって、あー面白かった! とスッキリする映画ではなかった。
なんだかモヤモヤするものが残って、そのモヤモヤを誰かに語りたくなるよう
な、そういう問題作だった。


途中までだったら、「新編 叛逆の物語」は「ビューティフル・ドリーマー」の
パクリ、と言うバカが続出すると思っていた。
しかし、ほむらが自らの手でもう一度宇宙を書き換えるという文字通り「叛逆」
には驚いた。


ほむらはその理由を、インキュベーターには理解できない愛のためだ、と言った。
私は以前、「魔法少女まどか☆マギカ」は愛の物語である、と書いた。(
が、そのとき想定した愛は、この映画でほむらが言う愛とは違うように思う。


鹿目まどかの愛をアガペーとするなら、暁美ほむらの愛はエロスである。
建前としては、円環の理の力をインキュベーターに利用させないためだが、
本音は、まどかを自分ひとりだけのものにしたいという我欲のために、
ほむらは悪魔になったのである。


ここにおいて、オーソドックスな魔法少女ものに必要な悪役が作られた
ことになる。
「叛逆の物語」以前は、魔法少女が魔女化したもの→魔獣へと倒す敵が
変化したが、こんどはその悪役をほむらが一手に引き受けたのである。


真の悪役だったインキュベーターは、ただのマスコットになってしまった。
最後にボロボロになったキュウべえは、その象徴ではないか。
そして、悪役になった重圧に耐え切れなくなったほむらは飛び降りてしまった、
というのが現時点での私の解釈だ。
(でも違うような気もする。確信が持てない)



テレビ版が終わったあとで、私たちファンが夢想した世界は冒頭から約1時間
にわたってたっぷりと描かれた。
それが君たちの望む世界だったんだろう? とキュウべえが言わんばかりだ。


しかし、エヴァンゲリオンのように、それを「気持ち悪い」と突きつけられる
ことはなかった。
その代償としてほむらが悪魔になったのだとしたら、あまりにも切ない。