Boaz2013-08-31

愛媛県美術館で開催されている「画業60週年記念 松本零士展」を
見てきた。


松本零士の両親はともに愛媛県大洲市の出身で、松本零士は戦時中
そこに疎開していた。
その縁で、大洲市の小学校に壁画を描いたり、イベントのイラストを
描いたりしている。


基本的にはマンガの原画と、関わったアニメの資料が展示されており、
正直もの足りなかったが、入館料が1200円だったからそんなものか、
とも思う。



この展示を見ていて、宮崎駿松本零士のことをどう思っていたの
だろう、と想像した。
松本零士宇宙戦艦ヤマト銀河鉄道999ブイブイいわせていた
のは、1977年から79年あたりである。


テレビ版「宇宙戦艦ヤマト」の裏番組が「アルプスの少女ハイジ
だったことからも、少しは意識していたのではないか。
あるいは、最初から才能を見切っていて、歯牙にもかけなかったの
かもしれない。


1979年は「ルパン三世 カリオストロの城」が公開されており、
全盛期の松本零士と入れ替わるようにアニメ映画の監督人生を
スタートさせている。



その後、松本零士は凋落し、宮崎駿は国民的映画監督になって
いく。そもそも松本零士はマンガ家が本業であり、アニメ映画の
監督ではないのだが、70年代の後半にアニメ作品を通して少年たち
に与えた影響は多大なものがあった。


それだけに、西崎義展との訴訟で大きなダメージを受け、槇原敬之
との訴訟で晩節を汚したのは惜しい。


ミリタリーオタクなので、戦場まんがシリーズを描いており、
ガルパンで開発された戦車CGを使ってアニメ化したら、再評価
されるかもしれない。