愛媛県美術館で開催されている「画業60週年記念 松本零士展」を
見てきた。
松本零士の両親はともに愛媛県大洲市の出身で、松本零士は戦時中
そこに疎開していた。
その縁で、大洲市の小学校に壁画を描いたり、イベントのイラストを
描いたりしている。
基本的にはマンガの原画と、関わったアニメの資料が展示されており、
正直もの足りなかったが、入館料が1200円だったからそんなものか、
とも思う。
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この展示を見ていて、宮崎駿は松本零士のことをどう思っていたの
だろう、と想像した。
松本零士が宇宙戦艦ヤマトや銀河鉄道999でブイブイいわせていた
のは、1977年から79年あたりである。
テレビ版「宇宙戦艦ヤマト」の裏番組が「アルプスの少女ハイジ」
だったことからも、少しは意識していたのではないか。
あるいは、最初から才能を見切っていて、歯牙にもかけなかったの
かもしれない。
1979年は「ルパン三世 カリオストロの城」が公開されており、
全盛期の松本零士と入れ替わるようにアニメ映画の監督人生を
スタートさせている。
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その後、松本零士は凋落し、宮崎駿は国民的映画監督になって
いく。そもそも松本零士はマンガ家が本業であり、アニメ映画の
監督ではないのだが、70年代の後半にアニメ作品を通して少年たち
に与えた影響は多大なものがあった。
それだけに、西崎義展との訴訟で大きなダメージを受け、槇原敬之
との訴訟で晩節を汚したのは惜しい。
ミリタリーオタクなので、戦場まんがシリーズを描いており、
ガルパンで開発された戦車CGを使ってアニメ化したら、再評価
されるかもしれない。