Boaz2012-11-25

アニメ「ジョジョの奇妙な冒険」7話でツェペリさんが死んだ。
彼は師匠トンペティから、自分の最後を知らされており、それを
受け入れての死だった。


決定論では、生まれてから死ぬまでのことがすでに神によって
決められており、人間の自由意志はない、とされる。


もし少年時代のトロツキーに、君はメキシコで暗殺者に殴り殺さ
れるのだよ、と教えても、本人は信じないだろう。
普通、ロシア人がメキシコで撲殺されるわけがないと思うからだ。


たまたまトロツキーの例を出したが、誰も自分がいつどこでどの
ように死ぬかは分からない。
知らないからこそ、自由意志があるように見えるのかもしれない。


ただ、あらゆる生物は必ず死ぬ。これだけは決まっている。
有限の命なので、行為には限界がある。
これまでに発表されたすべての本を読むことは不可能だし、すべて
の音楽を聴くことも無理だ。


じゃあ、どうせ有限のものしか経験できないのだから、必死に
ならなくてもいいのではないか、という意見もあろう。
逆に、だからこそ自分の限界まであらゆることを知りたい、と
思う人だっているだろう。


そこは、人それぞれでいいと思うが、どうも自分の生命が有限で
あることに気がついていないような言動をする人もおり、ちょっと
気の毒に思う。


私は、自分の目に触れて気に入ったものは、何かしらの縁があると
思うようにしている。
そして、見逃してしまったものは、たとえどんな傑作であれ、縁が
なかったものとして諦めることにしている。
そう考える方が楽だからである。