いまの世の中はスピードを強要されている。
子供は小さいときから母親に、とにかく早くしなさいと言われて育ち、学校でも早く答を出せる
ように訓練され、社会に出ても結果を早く出さないといけない。
何のために早く速くとせっつかれているかというと、消費の速度を上げるためである。
興味がわいて→買って→飽きて→新しいものに興味がわいて→買って、というサイクルをできる
だけ高速回転させないとクラッシュしちゃうぜ、と誰かが脅している。
以前より読書をしないのも、CDを聴かないのも、ゲームをしないのも、1時間それだけに費やす
余裕がないからである。だから時間のかかるものは売れない。
逆に、中途半端に10分とか15分の空き時間はいくつもできるから、そこを何かで埋めたいという
欲望はある。なので携帯ツールで視聴するものが売れるのだ。
きちんと働いている人で、毎日1時間を何かに使おうと思ったら、睡眠時間を削るしかない。
そうすると、身体感覚がついていけなくなって、寝不足になったり病気になる。
ブログを読んでいると「寝落ちした」と書く人がいて、ちょっと心配しつつ、お前は倒れるとき
も前のめりでありたいという坂本竜馬か、と突っ込んでしまう。
(ちなみに、この坂本竜馬のエピソードは梶原一騎の創作らしい)
ネット社会になって情報が爆発的に増えたから、じっくり付きあってたらいくら時間があっても
足りないよ、というのは分かるのだが、あらゆることを表層的に摂取しただけでは、滋養になる
まいとも思うのだ。
かといって、スローなんとかという運動に与することもできない。
あれは金持ちで余裕のある人がやる遊びである。
まずは自分の強迫神経症的なところを自覚することだろう。
そして、絶対に必要だと思っていた情報が、実はなくても困らないものだと知るところからスタ
ートすればいいと思う。
何かをする時間を得るということは、何かを得る時間を失うということだ。
失うことはかなり怖いことである。私もまだこの恐怖を克服していない。
思い切って週休3日制にして、労働時間を減らせばいいのではないかと思うのだが、経営者は生
産性が落ちるから猛反対するだろうし、時給制の人は収入が減ってしまうから困るだろう。
しかし、死ぬほど働かされるよりは、ちょっと貧乏ぐらいの方がいいのではないかと思うのだ。
だって必要なものはもうあるのに、まだ何かを売らなければならないから必死になっているだけ
で、進歩とか発展という幻を追わなければ、十分やっていけるはずだろう。
ファミコンのカセットや昔の文庫本や中古CDの需要がいまだにあるのはどうしてなのか、スピー
ドを緩めて考えてもいんじゃね? と思うですよ。