もう内容を全部知っているのに、何度見ても笑ったり泣いたりする
作品がある。
ある人にとって、感情を揺さぶる何かがあるからだろう。
もし、感情を揺さぶるものの正体が分かっていれば、クリエイターは
そのパターンを利用して物語をつくり、人はあらゆる作品で笑ったり
泣いたりするはずだ。
だが実際には、そのような作品は少ない。
「魔法少女まどか☆マギカ」は愛の物語である。
もっと正確に言うと、奪われた愛を犠牲を払って取り戻す話である。
私が泣くのは、犠牲が大きすぎるからだろう。
まどかは14歳以降の人生すべてを失って、全宇宙の魔法少女たちを
救済している。
ほむらは大切な友だちを奪われ、再び取り戻したものの、友だちの
記憶とリボン以外を失っている。
(さやか、杏子、マミさんについてはそれぞれ考えてください)
つまり、キャラクターに対する感情移入と犠牲の大きさが化学反応を
起こし、オッサンに涙を流させる、という仮説である。
では、子供が理不尽な理由で死ぬ話で、私はもれなく泣いているだろ
うか? 最近は涙腺がゆるくなっているからそうかもしれないが、昔は
そうではなかった。
私が最初に、愛の物語である、と書いたのは、犠牲を払うキャラクター
が、他者への愛を貫いているからである。
自分の欲望をかなえるために魔法少女になったキャラクターもいたが、
最終的には献身的な行動で終わっている。
これはほとんど宗教的な行動であろう。
キリスト教には臨終の秘蹟というものがあるが、まどかがやっている
ことはほとんどそれである(概念というイメージは仏教的だが)。
私はあらゆる宗教を熱心に信じたことはないが、「魔法少女まどか☆
マギカ」の物語における“奇跡”を目の前にして、一種の宗教的転回
を受けたような気がする。
ずいぶん気持ち悪いことを書いてしまったし、製作者の意図とも違う
とは思うのだが、愛と犠牲というキーワードで考えていくと、こういう
結論になってしまった。申し訳ない。
もし他にも、何度「魔法少女まどか☆マギカ」を見ても泣いてしまう、
という人がいれば、その理由を教えていただきたいものである。
↓
雑誌「CUT」の新房昭之監督のインタビューを読んだ。
主に編集の話になっており、それほど深い話題はなかった。
作品論をもっと語ってほしかったです。