魔法少女まどか☆マギカ

魔法少女まどか☆マギカ」は因果律を超えた希望の物語である。
これほど力強く希望をテーマにしたからこそ、多くの視聴者の心に残る
何かを打ち込めたのだと思う。


ただ、21世紀の日本では、希望を持つことは正しい、ということを語る
ためには、凝りに凝った仕掛けが必要になった。
その仕掛けを読み解く作業もまた愉しみではあるけれど、この作品を理
解するためのハードルは上がるかもしれない。


まず、「魔法少女もの」というフォーマットがあることを前提にしなければ
ならない。これは日本人で長年アニメを見ている人なら簡単なことだが、
それ以外の人にとってはどうなのだろう。


魔法少女もの」か、と思って見ていると、第3話で物語の位相が変わる。
このドキドキ感を視聴者が共有したとき、爆発的な興奮が生まれる。


次に、魔法少女になる契約を執拗に迫るキュゥベエである。
これも「魔法少女もの」に必ず登場するペット的な生き物と思っていると
大間違い。
悪意なき悪意というものが形になったといえばいいのだろうか。
とにかく出色のキャラクターだった。


なぜタイトルが「まどか☆マギカ」なのに、主人公のまどかは一向に魔法
少女にならないのか。
その謎が第10話で明かされ、爆発的な興奮は後戻りできないうねりとなっ
てネット空間を席巻した。


そして幸か不幸か東日本大震災でラスト2話が放送中断。
その間、物語をどのように終わらせるのか、視聴者の頭は熟成されていく。
もし通常どおり放送されたとしたらどうだったのだろう。
中断があったからこそ、私のような遅れてきた視聴者をつかまえることが
できたのだが、それは全体にとっては微々たる影響しかないのかもしれない。


私は「まどか☆マギカ」は、21世紀の「イデオン」だと思う。
イデオン」は、なぜ存在するものは憎しみ合うか、をテーマにした作品で
最終的には宇宙が崩壊する。


このとき、時間軸は一方向にしか流れていない。
ユダヤキリスト教的な時間である。


一方、「まどか☆マギカ」の時間軸は円環的で多重である。
これは仏教的な時間だといえる。


衆生を救済するために輻輳した因果を一身に束ねて宇宙の法則を変える。
まどかが最終回でやったことは、まさに仏教の救済方法ではなかろうか。
日本のアニメの底力を見た気がする。
まどか☆マギカ」のおかげで、あと10年は戦えるだろう。