日本語は亡びない

日本語は亡びない (ちくま新書)

日本語は亡びない (ちくま新書)

水村美苗の「日本語が亡びるとき」を批判した本で、前半は非常に
よく分かったが、後半は(ん?)というところが多かった。


私は水村の「日本語が亡びるとき」を読んでいないので、ちゃんと
読み比べた方がいいのかもしれないが、直感的に「日本語は亡びな
い」の方に分があると思った。


というか、なぜインテリは水村というおばさんの言うことに右往左
往するのかが分からない。
彼女が書いた「續 明暗」は読んだことがあるが、ふーん、という
感じだった。少なくとも漱石はあんな終わらせ方はしないだろう。


彼女の個人的な憤りが世界のすべてではない、というだけの話で、
『このままでは日本は滅びる』的な話型で、人を恫喝しながら自説
を語るのはやめていただきたい。


私が面白かったのは、中盤に語られた日本語の文法のところで、こ
れはもっと詳しく書いてある「日本語に主語はいらない」を読まね
ば、と思った。


というのも、中学生が英語の文法でつまずくのは、主語・動詞・目
的語という言葉の意味が実感できないからである。
それを無理やり日本語の文法にあてはめているのが、いわゆる学校
文法だ、というのが筆者の指摘で、なるほどこれは正しい。


無理やり It という主語を置かねばならぬ言語の方が不自然なのだ、
という話を読んで、胸のつかえが下りた。


以下、余談。



私は、ことばはコンピューターにおけるOSだと思う。
人間は何年もかけてひとつのOSをインストールし、日々アップデ
ートしている。


外国語は違うOSである。
複数のOSをひとつのコンピューターでうまく動かすには、それな
りのスペックが必要だし、普通は一つで十分だと思う。


英会話教室のCMで、小学生の子が「私はオレンジジュースが好き」と
英語で喋っているのを見た。
私はゾッとした。


この程度の情報を伝えるのに費やされた時間はどのくらいなのだろ
うか? そして、まだインストール中の日本語の邪魔をしていない
のだろうか、と。


私は15年後の彼女がどんな言語で思考しているのか見てみたい。
そして、ジュースの好みより抽象的なことが英語で伝えられるのか
どうかを知りたい。