失われた10年

失われた10年」という言葉がある。
日本が不況に陥った90年代後半からの10年間のことを意味するようだ。


当たり前のように使われているが、「失われた」という言葉には、本来
ならば享受できた経済的繁栄が、という主語が省略されている。


だが、それは自明のことなのだろうか? 
その発想は、右肩上がりの経済成長が未来永劫つづくという前提に立っ
ているのではなかろうか。


私たちはリーマンショックで、先進国の経済成長が半分インチキである
ことを知った。


地球の資源は閉じられた系の中にあるのだから、ゼロサムゲームになる
ことは必然である。
それを成長と言っていいわけがない。


もはや私たちは欲望を制御して、生活をスローダウンさせなければなら
ないところまで追い込まれている。環境問題はそれを警告していると思
う。


そうすると「失われた10年」という振り返り方は妥当ではない。
単に、がっくり膝をついた10年、とでも言った方がいいのではないか。


空想にすぎない「本来受け取るべき経済的繁栄」を惜しんでもしかたが
あるまい。
逆に顔を上げて未来を見るべきだ。たとえやせ我慢してでも。