路地裏の資本主義

いまの資本主義は身体性を欠いたもので、異常である。
そこそこの資本主義でいいではないか、という話をしているように
読めた。


経済成長は無限に続くものではない、と私は思うのだが、どうも
世の中の人の多くはそうでもないらしい。
平川克美は、静かに淡々と何が間違っているのかを語る。
私はそれに深くうなずく。


本書の p200 には

 今や、国家は株式会社によって乗っ取られたと言ってもよいのかもしれません。
なぜなら、国家が掲げる経済成長戦略は、そのまま株式会社の戦略であり、国家が
語る成長のシナリオの言葉遣いもまた、株式会社の経営者の言葉遣いとそっくり
だからです。


 株式会社というものは、利潤を追求するために考案されたシステムであり、およそ
それ以外のことには無関心な組織です。もちろん、株式会社のメンバーは人間なので、
人間の関心を反映させるような活動をすることはあります。しかし、株式会社の持ち主
である(と規定されている)株主にとっては、株式会社に投資して金が増えて戻って
くることだけが主要な関心事なのであって、株式会社がどんな風に運営されているのか、
社会的貢献はしているのか、ステークホルダーたちの生活は守られているのか、社会的
責任を果たしているのかということに関しては、二の次の問題であるか、あるいは
せいぜいそういった活動が、利潤に直結するのかどうかに関心があるだけです。


 この偏った性格の株式会社も、国民国家が発展途上にあったときは、国民国家
目的と、その目的が一致していたわけですね。


 しかし、国民国家の本来の目的である、その構成員が生命財産を保障され、安心
した生活を営むことができるということと、株式会社の目的である利潤追求が必ず
しも一致しない事態に立ち至っているのが現在です。


 そもそも、国民国家のメンバーであるわたしたちが、国家が成熟段階に達したときに
思い浮かべることは、この平安と安定が続いてくれることであり、どこまでも発展して
ゆくことではないだろうと思います。ひとつには、永遠に成長し続けた国家などかつて
あり得なかったという歴史的な事実によって、もうひとつは、人間以外のどんな動物に
とっても大切なのは成長ではなく継続であり定常的な環境であるという生物学的な直感
によって、永遠の経済成長は無理筋だと心得ているからではないでしょうか。


 それにもかかわらず、経済成長を叫ぶ理由は、短期的な思考しかできない人間が増えた
ことと、短期的な利益追求にまい進する企業が、現在の人々の価値観まで企業的なものに
変えてしまったからかもしれません。

とある。


長々と引用して申し訳ないが、アベノミクスとはまさに上記のようなことだろう。
私は多国籍企業の奴隷にはなりたくない。


だが、おそらくこんどの衆議院選挙で自民党は勝ち、安倍首相は白紙委任状を
得た、と宣言するだろう。
そこから先は、富裕層以外には明るい未来があるとは思えない。


もう一度、国家が破綻しないと、間違いに気がつかない人がほとんどだろうから、
そこまで行くしかないだろう。