浦沢直樹

NHKの「プロフェッショナル」という番組に、浦沢直樹がとりあげられていた。
私は連載を読むだけで単行本を買ったことはないのだけれど、非常にクォリティの高い作品を確実に
仕上げるプロ中のプロだと思っている。


この番組の中で、浦沢直樹のプロデューサーとして長崎尚志という人が出ていた。
もともと小学館の編集者で、浦沢直樹の担当だったが、ほとんど原作を作っていたような部分もあり、
小学館を辞めてフリーの編集者になっている。


このあたりの事情や、浦沢の転機になった「MASTERキートン」などの原作を担当した勝鹿北星についても
番組内でまったく語られておらず、たぶん小学館から絶対に触れないように釘を刺されたのだろう。


私はちょっとだけマンガに携わっていたことがあるので、長崎尚志という人の方に興味があった。
世間の人はこの番組を見ると、マンガというのはマンガ家が描いているのだと思うだろう。
もちろん、それは正しいのだが、厳密にいうなら担当編集者との打ち合わせによって作品は生まれるので
ある。


浦沢ほどのマンガ家であっても、打ち合わせのときにダメ出しをされる。
ペン入れをした原稿を描き直させるところがあったが、視聴者は、この長崎という人は何者なんだろう? 
と思ったのではなかろうか。


日本のマンガが、なぜこれほど発達したかというと、マンガ家の力もあったけれど、担当編集者が作品に
容喙し続けたからでもある。
面白い作品にするために、徹底的に話し合う。そういう熱意が、マンガの全盛期を支えていたと思う。


じゃあ、原作者と何が違うのかというと、基本的に原稿に書かないし印税も入らない。単行本にクレジッ
トは入らず、ひたすら黒衣に徹していたのである。
売れっ子のマンガ家を何人担当していたかが、編集者の勲章だった。


最近はこのあたりがグレーゾーンになってきて、少年マガジンで「金田一少年の事件簿」を担当していた
樹林伸は原作者として独立している。
講談社の社員は高給で安定した身分のはずだが、やはり原作を書く方が面白いし儲かるからだろうか。


もっとも、このように独立できるほど力のある編集者は稀で、ほとんどはマンガ家が出してきたネームを
見ながら、ああでもないこうでもないと考えて、アンケートの人気が少しでも上がるように頑張るだけ
である。そのあたりは、普通のサラリーマンと同じかもしれない。


また、編集者とマンガ家の力関係というのも微妙なもので、新人のマンガ家だったら圧倒的に編集者の
方が強い立場でモノを言えるけれど、大御所に対してはそういうわけにもいかない。
相性もあるから、担当や出版社が替わったときにブレイクするマンガ家もいる。


しかし、ベテランだろうが新人だろうが、最初の読者は編集者である。
マンガ家は、一般の読者の反応を直接知ることはできないから、編集者やアンケートによって作品を
評価されるわけだ。


だから、最初に描いたネームを見せるときは、どんなマンガ家でもドキドキすると思う。
このドキドキがなくなったら、クリエイティヴなことはできなくなるのではなかろうか。
それに対して、面白かったのかつまらなかったのか、今後の展開をどうしていくのか、つまらない部分は
どこか、などをマンガ家と話し合うのが編集者の仕事のひとつだ。


つまらないと言われたらマンガ家だって傷つくし、納得できない部分もあるだろう。
そこから話し合いが始まるわけで、このあたりの生々しい部分は、島本和彦のマンガに詳しい。

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マンガ家も編集者も世代交代が進んで、いまはマンガを読んで育った人がほとんどだろう。
さらに下の世代になると、マンガを読まなくなった人がマンガの編集者になるかもしれない。
そのとき、はたして週刊少年誌は継続できるのかどうか、ちょっと疑問である。


本文と写真はまったく関係ありません

( ^▽^)<マンガ家を演じたこともありました