そして殺人者は野に放たれる

そして殺人者は野に放たれる (新潮文庫)

そして殺人者は野に放たれる (新潮文庫)

私は、この本で著者が主張していることは以下の二つだけだと思う。
1.刑法三十九条
 《一、心神喪失者の行為は、罰しない。
  二、心神耗弱者の行為は、その刑を減軽する。》
 の削除
 (少なくとも第二項の削除)
2.精神障害者精神障害犯罪者を弁別し、後者の刑事治療処遇施設を設立


何故そうしなければならないかを、これでもかという量のケースを取り上げて検証
しており、読んでいると、なんでこいつが無罪なのか、と思うような奴もいる。


ここ数年になってようやく、被害者の人権というものが語られ始めた。
何かに抑圧されていた声が、あぶくのようにあちこちから浮かび上がってきているように
思える。


本書によると

 この年(96年)、日本全体で加害者には総額約四十六億円の国選弁護報酬と、食料費+医療費+
被服費に三〇〇億円も国が支出した。対照的に、被害者には遺族給付金と障害給付金を合計しても
五億七〇〇〇万円しか払われていない。

とのことである。どういうことだろうか。


ちなみに、犯罪捜査で現場をさんざん荒らされても、警察からは現状修復の費用は出ないのだ
そうだ。知らなかった。


それにしても、素人の私が不思議でならないのは、裁判で裁かれるのは被告の動機である、と
いう点だ。
例えば、AがBを殺したことが明らかに立証された場合でも、Aの心理がどうだったか(殺意の
有無や意識の状態)で、罪の重さが決まってしまうらしい。


だったら弁護士は、そのときのAの心理をウソでもいいから心神喪失にするだろうし、検察も
相手がそうやって無罪になりそうな場合は、起訴すらしないだろう。
(被告が無罪になった場合、検察官の出世に響くのだそうだ)


そういうのはおかしくないか? と疑問を持つのは、法律の専門家以外らしい。
私なら、そのときの心理がどうだったかに関わらず、結果責任による判決を出せばいいと思うが、
それでは人権が守られないのだろう。


あれほど勉強して司法試験を突破している人々が、なんでこんなことを放置しておくんだろう。
訴訟というゲームで勝つためには、ルールに精通しなければならない。
しかし、ルールそのものに疑問を抱いてはいけない。
なぜなら、そんなことを考えるとゲームをやっていけないから、ということか。


しかも、司法は法律を適用する立場であり、立法は国会議員の仕事である。
ところが、立法府の人々も、憲法を改正するのは熱心だが、明治時代に作られた刑法を改正するのは
無関心だ。票にならないからか? 


このままだと、例えば殺人や強姦のような凶悪犯罪を犯しても、「東京タワーからの紫色の毒電波が
俺の頭を直撃して‥‥」などと言えば、罪が軽くなるかもしれない。
さすがに、詐病だとバレるか。


そうそう、第16章の人格障害者について読んでいて思い出したのが「診断名サイコパス」だった。

診断名サイコパス―身近にひそむ異常人格者たち (ハヤカワ文庫NF)

診断名サイコパス―身近にひそむ異常人格者たち (ハヤカワ文庫NF)

今は「サイコパス」という言葉ではなく「反社会性人格障害」と呼ばれているが、要するに凶悪犯罪を
何のためらいもなく行う人々のことである。
最初の方にある、凶悪犯罪者のリストを見ると、日本とはスケールが違うような気がする。


この本の原題は“Without Conscience”(良心の呵責がない)という。
なぜそういう人が現れるのかは、まだ謎らしい。遺伝か脳の器質障害なのか、それとも生育環境なのか、
原因は突き止められていない。


ただ、本の中にあるサイコパスの定義は、ちょっと性格が悪い人なら当てはまってしまうので、あまり
信用できない。
脳の研究が進めば、これはトンデモ本になるかもしれないな。


最後に、ズバリ「刑法第三十九条」という映画もある。

39-刑法第三十九条- [DVD]

39-刑法第三十九条- [DVD]

かなり昔に見たけど、面白かった。
入江雅人が小学生を蹴っ飛ばしているのを憶えている。


本文と写真はまったく関係ありません

从 ´ ヮ`)<‥‥心神喪失しとったけん、無罪?