マイ・ファースト手塚

NHKスペシャルで「ラストメッセージ」という企画があり、第1回は手塚治虫だった。
奇しくも亡くなる前に講演したのが、後に小学生無差別殺人事件の現場になった池田小学校だったという。
当時、その講演を聴いていた子供たちが何人か集まって、ビデオに記録された手塚治虫の講演を再び
聴いていたのが印象的だった。


そのときの講演の内容は、岩波新書の「ぼくのマンガ人生」に書かれていることと、ほぼ同じだと
思われる。

ぼくのマンガ人生 (岩波新書)

ぼくのマンガ人生 (岩波新書)


あまりに有名な人は全体を把握することが難しい。
たとえば、ベートーベンの交響曲「運命」の最初は、ほぼ誰でも知っているだろう。
では、第四楽章の最初はどうだろうか。クラシック好き以外は、たぶん分からないはずだ。
そのクラシック好きの人でも、ベートーベンが作曲したすべての曲を聴いたことがあるかというと、
研究者や評論家などの特別な人に限られるのではあるまいか。


これは手塚治虫も同様である。
鉄腕アトムブラック・ジャックは、マンガ好きならたいてい知っているし、読んだこともあるだろう。
だが、全作品を読破した人はそれほど多くないと思う。
(特に手塚作品は、後から描き直した別バージョンが多いため、それも含めるとかなり厳しいはず)
もちろん、私も全作品を読んでいるわけではない。たぶん、3割も読めていないのではないか。


私がマンガを読むようになったときは、手塚治虫はすでに過去の人だった。
いや、偉い人だったと言うべきかな。
藤子不二雄の「まんが道」を読むと、とにかく神格化された手塚治虫が登場し、なんだか気軽に手を
出すような存在ではなかった。
コロコロコミックで連載していた「ハムサラダくん」というマンガでも同様だった気がする。


最初に読んで憶えているのは、月刊少年ジャンプに掲載されていた「るんは風の中」という短編だ。
ちょうど家族で旅行しているとき、列車内で退屈だったので親にねだってキオスクで買ってもらった
のだ。
なぜ月刊少年ジャンプにしたかというと、それが一番ぶ厚かったからである。


当時の月刊ジャンプは「ガッツ乱平」が人気作品で、手塚治虫の短編は最後の方に載っていた。
しかし、「るんは風の中」のラストシーンがあまりに切ないので、つい何度も読み返したものだ。
今では、ほかに何が連載されていたか、まったく憶えていない。


その後、「ブラック・ジャック」や「火の鳥」を読んで、手塚治虫すげぇ! と思ったのだが、
他にリアルタイムで連載している作品で興味を引かれたものはなかった(というか発見できなかった)。
その後、私は週刊少年ジャンプ・サンデー・マガジンやヤンマガ・スピリッツなどに連載されている
マンガを主に読むようになり、手塚作品は“いつか読むもの”になっていた。


音楽でいうなら、若者が、常に流行のJ−POPを聴いているのに、なんでクラシック音楽なんか
聴かなきゃならないわけ? と言っているようなものだった。無知とは恐ろしいものだ。


めぐり合わせも悪かったといえる。
私が若かった80年代には、手塚治虫は「陽だまりの樹」や「アドルフに告ぐ」などの大人向け作品を
描いていたのだった(少年誌向けは、たいてい失敗していた)。


オッサンになって手塚作品を読むと、しみじみ「いいなぁ」と思う。
表向きの「正しい」手塚治虫ではなく、裏の「狂気」の部分が分かるようになったからだろうか。
岩波書店向けの立派なことを言うのも手塚治虫だが、「MW」とか「きりひと讃歌」とか「奇子」を
描いているのも手塚治虫である。


このような圧倒的な厚みと深みを持ったマンガ家は、もう二度と現れないと思う。
ブラック・ジャック」しか読んでない子供たちも、大人になったら是非、70年代以降の大人向け
作品を読むことをお薦めしたい。


ちなみに、黒人差別うんぬんは、政治的に正しいかもしれないが、文化的には正しくない。
手塚作品を読んで、黒人が差別されているとしか読み取れないような人間に、マンガのことをとやかく
言われたくはないものだ。


本文と写真はまったく関係ありません

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