テヅカ・イズ・デッド

難しくて、6割も内容を理解できませんでした。
以上。



なので、以下は私がこの本を読んで、内容と無関係に考えたことを書く。


「ガンガン系」と呼ばれる、スクウェア・エニックスなどから出版されている
マンガがあって、メジャーな週刊少年誌からは切り離されて考えられている、
という話があった。


実際、私も読んでいない。
が、メディアミックスでガンガン系はわりとアニメ化される。
それを見ると、やっぱり違和感がある。


例えばアニメ「アカメが斬る!」では、第1話で主人公の少年と一緒に村を
出た友達が、拷問が趣味の家族に惨殺されている。
彼らの死は、いったい何の意味があるのだろうか? ただ物語を序盤から
盛り上げるためだとしたら、少年マンガのコードから外れているような
気がする。


また、記憶があいまいだが、雑誌「ユリイカ」で藤田和日郎荒川弘
対談したときに、「鋼の錬金術師」で、飼い犬と合成獣にされたニーナ・
タッカーの死について、藤田が批判しているのを読んだことがある。
これも少年マンガのコードからは逸脱している、と藤田が感じたから
だろう。


で、私が思うに、これは手塚治虫の作劇方法を真似ているからではないか。



手塚マンガでも、実に簡単に人の死が描かれる。
もちろん物語を盛り上げるためでもあるし、私が気がつかないもっと
深い理由もあるのだろう。


その一方で、手塚マンガはスター制度がある。
キャラクターを役者とみなし、手塚マンガの中で演じている、という
スタイルだ。


これだと、マンガの中の死は役者の演技であり、キャラクターは別の
作品に登場するから、読者はワンクッション置いて登場人物の死を
受け容れられる。
スター制度には、そういうメリットがあったのではないか。
というか、こんな話は何十年も前にとっくに語られていると思うが。


ところが、ガンガン系のマンガでは、たぶんスター制度でマンガを
描いている人はいない。キャラクターは使い捨てである。
ここに私のような頭の古いオッサンは違和感を持つのだ。



じゃあ、人の死ぬマンガはダメなのか、というと、そうではない。
ここらへんがうまく言えなくてモヤモヤするのだが、読んでいて納得
できたらそれでいいような気がする。


進撃の巨人」でも、バタバタ人が死んでいくが、読んでいてもあまり
引っかからない。
それはお前の好みだろう、と言われてしまえばそうなのかもしれないの
だが、人が人を殺すのと、人以外の何かが人を殺すのとの違いだろうか。


うまく他人を説得できる理由が思いつかない。
ガンガン系のマンガの違和感は、たぶん私だけが感じているのかも。