かまどや

私の友人Rは地元の大学に進学して、アルバイトをいくつかしていた。
その中に、弁当屋の深夜のシフトがあって、私は帰省したときに立ち寄っていた。
夜中だったので、店内はRひとりだった。
ラジカセが置いてあったので、暇なときは好きな音楽をガンガンかけて歌っていた。


Rはけっこうルーズな仕事をしており、例えば同じクラブの仲間が弁当を買いにきたら、
フタが閉まらないほど超大盛りのご飯にカラアゲをプラスして通常料金を受け取っていた。
おかげで深夜にもかかわらず、大学生の客がぽつぽつ来ていたから、集客効果があったの
かもしれない。


その弁当屋のバイトは食事付だったので、店内のものを何でも食べてよかった。
Rはバイトを始めたころに全てのメニューを食べ尽くし、もう飽き飽きしていたが、
私は珍しかったので、深夜に遊びに行って調理場に入らせてもらい、いろんなものを
作ってもらった。


定番のカラアゲやトンカツはもちろん、揚げシュウマイやギョウザ、冷凍のうなぎまで
食べた。うなぎは滅多に出るものではなかったので数が少ない。
本当に食べてもいいのか、と心配だったが、大丈夫だと言われて食べた。
残念ながら、あまり旨くなかった。


私は夏休みや春休みなどに帰省したとき、顔を出すだけだったのだが、深夜で暇だったの
だろう、店の電話から東京の私のアパートまで電話をかけてくることもあった。
当時の電話代は3分100円ぐらいだったのではなかろうか。
私たちは2時間ぐらい平気で喋っていた。
途中で客が来ると、受話器をそのままにして接客し、終わったらまた話し始めるという具合
だった。


Rは甲斐よしひろが大好きだった。
ある日、私がアパートで寝ていると電話がかかってきて、いきなり受話器の向こうから甲斐
よしひろの声で「ダイナマイトが150屯」が流れてきたことがあった。
これには思わず笑ってしまった。
もともとは日活映画全盛期に小林旭が唄っていたもので、この名曲のやみくもなエネルギーが
大爆発している様は、いまの J-POP にはないと思う。


そんなことをしているうちに、我々は大学を卒業し就職した。
数年後に帰省してみると、Rのせいかどうかは分からないが、その弁当屋は潰れていた。
申し訳ない。


本文と写真はまったく関係ありません

( ´酈`)<実話れす