森高千里

昔好きだった人シリーズ3。
多くの人と同様、私が森高のファンになったのは「17才」のシングルからだった。
私の中では今に至るまで、あの脚線美を凌駕する人はいない。


森高の魅力は、プロモーションビデオで爆発したように思う。
一時期、秋葉原のテレビ画面の半分以上は森高の画像で占拠されていたのではなかろうか。 
そのくらいインパクトがあった。
いま、そういうプロモーションビデオが少ないのは何故だろうか? 


森高千里の音楽活動は二つの時期に分かれている。
前期はアイドルポップスを唄う時期で、後期は自らドラムを叩く時期である。
なお、本人は3枚目のシングル(ザ・ミーハー)から自分で作詞をしており、自分はアイドル
ではなくミュージシャンだという自意識があったと思われる。


前期の森高のアルバムで、私が最も評価する作品は「古今東西」である。
タイトル通り、サンタナの「Oye Como Va」やキャロルの「ファンキー・モンキー・ベイビー」を
カバーしており、アイドルがこんなのカバーしちゃいましたぁ、という悪ノリの一歩手前で仕上げて
いるのはさすがだ。


だが、このアルバムの中で異彩を放っているのは、ラストの「うちにかぎってそんなことはないはず」
というナンバーだ。

うちにかぎってそんなことはないはず
とてもいい子だから なにかのまちがいでしょう
うちにかぎってそんなことはないはず
ちゃんと育てたから なにかのまちがいでしょう


子供の頃からこの子は おとなしいんです


まいった まいった まいった まいった まいった まいった まいった まいった まいった
了解ですよ

これが一番の歌詞である。
最初に聴いたときは、はぁっ? って思ったものだ。 


子供が何かやらかして、それを親が開き直っている。
そして、被害に遭った本人が「まいった」と繰り返して諦めている、と私には読める。
こんな歌、空前絶後であろう。
いつか、本人に解題してもらいたいものだ。


次のアルバム「Rock Alive」で前期の森高は終わり、92年に発表された「ペパーランド」からは
全曲自分でドラムを演奏する後期が始まる。
このとき森高は24歳。アイドルとしてはキツくなってきた時期だった。


正直、ドラムの演奏は上手くはない。しかし、なぜか引っかかるのである。
言葉にはできないが、ロックなのだ。
93年のアルバム「LUCKY 7」には全日空のキャンペーンソングだった「私の夏」や、
今もカバーされている「渡良瀬橋」が収録されている。
(「Memories」が名曲であることはナイショだ)


94年の秋に発売された、アサヒビールZのタイアップ曲「素敵な誕生日」が私の一番好きな
曲で、この前後の一年が森高の歌手としてのピークだったと思う。
ちょうどベスト盤「DO THE BEST」が発売されており、彼女のCDを買うなら、この
一枚で必要にして十分だろう。


そういえば、CMタレントとしての森高は才能あふれる人で、サントリーのアイスジンの曲や
アイスウォッカの曲は忘れがたい魅力があった。
97年のローソンのCMは細野晴臣と夫婦役を演じ(YouTube)、後に二人はミニアルバムを出している。

今年の夏はモア・ベター

今年の夏はモア・ベター

「東京ラッシュ」と「風来坊」は一聴の価値あり。


モーニング娘。「ラブマシーン」発売の一ヶ月後の99年10月に、入れ替わるように最後の
シングルを出している。
江口洋介と結婚してからはカレーのCMで見るくらいだったが、子育てが一段落したらしく、
また活躍してくれそうな予感がする。
ぜひ、ハロプロの後輩たちに作詞をしてあげてほしいです。