ザ・ヒットパレード

フジテレビのドラマ「ザ・ヒットパレード〜芸能界を変えた男・渡辺晋物語〜」を
見た。
一人の偉大な人物の業績を、その事務所の所属タレントを多数使って、フィクション
を織り交ぜて制作したものって、なんか北朝鮮プロパガンダ映画を見ているような
居心地の悪さを感じた。


これはナンシー関も指摘していたことだが、柳葉敏郎はどうしても秋田訛りが
あるので、東京出身という設定の主人公を演じていても違和感がある。
このドラマで「芸能界の恥だ!」と叫ぶシーンがあるのだが、恥のジが、ジとズの
中間ぐらいの発音になっている。これは、いただけない。


それを逆手にとって、秋田出身・東北大学卒業の警察キャリア官僚である室井慎次
というキャラクターを造形した「踊る大捜査線」のスタッフは見事というしかない。
柳葉の当たり役となったのもうなずける。


それから、原田泰造だが、どうしてもコント臭が抜けてないように見える。
私が「笑う犬」シリーズが好きだったせいもあるが、シリアスな顔で演技をして
いても、どこからか内村光良が登場するような感じがするのだ。
(しかし原田が演ずる、すぎやまこういちの東大→フジテレビ→作曲家という勝ち組
人生ってすごいな)


もうひとつ、渡辺美佐を演じた常盤貴子が、晩年になっても若いまま、というのも、
正直怖かった。別の女優がやってもよかったのではないか? 
さらに、クレイジーキャッツで似ていたのは谷啓を演じた人だけだったし、ドリフ
ターズが出てこなかったのも不思議だ。イザワオフィスだったからだろうか? 


よかったところは、ザ・ピーナッツを演じた安倍姉妹だな。
双子には見えなかったけど、いい唄いっぷりだった。
(本当は辻・加護のWがやるはずだったと思う。なぜなら、Wは実際にザ・ピー
ナッツのカバー曲でデビューしているのだから)
しかし、キャンディーズはなぜ美勇伝でキャスティングしなかったのか。
ちょっと見てみたかった。


渡辺プロが凋落した原因は、1973年のいわゆる「ナベプロ事件」にあるそうだ。
このことは、日本テレビのプロデューサー井原高忠の「元祖テレビ屋大奮戦!」に
詳しい。ま、これも自伝だから割り引いて考える必要があるけど、一部引用したい。
長いよw

渡辺晋社長は、僕がバンドをやっているのと同時期に、ベースを弾いて“シックス
ジョーズ”というバンドを率いていた。僕は“チャック・ワゴン・ボーイズ”だとか
(‥‥)っていうアメリカ軍のバンドにいたりして、おんなじ時期に楽隊をしている
から、当然顔見知りなわけです。奥さん渡辺美佐さんとも、これは、女子大在学中
からやっぱりよく遊んでいて、顔をあわせていた。

ともかく率直に言って、どんぶり勘定の青空マネージャーの時代から、プロダクション
というものを一つの会社組織にした、渡辺晋渡辺美佐の功績は大きいと思って僕は
評価しています。(‥‥)
ただ、それが独占企業になってしまうと、問題が起きて来るし、それに対しては、
僕は抵抗した。

局次長として、バラエティとか、音楽番組を統轄するようになって、僕はやっぱり
日本テレビは音楽番組を一つの軸にしようと決めた。
そのためには『スター誕生!』からスターを作ろう。そうすることによって、日本
テレビの生んだスターというものを作ろうと思った。(‥‥)
このスターメイキングのとどめとして、『紅白歌のベストテン』の新人コーナーが
ある。『紅白歌のベストテン』に一回出ると、何千枚レコードが売れる、っていう
時代だったから、ここに出るのは、勲章だよね。だからみんな出たがった。

おりしもそういうことを計画しているところへ、ナベプロが『紅白歌のベストテン』の
裏番組を始めるという事件が起きたわけです。(‥‥)
本来放送界には一つのプロダクションのタレントは、裏表には出さないっていう
不文律があるんです。日本テレビに出てる時間は、よその局には、まあ原則として
出さない。ということは、ナベプロのスターはこっちの『ベストテン』には、出られ
ないということじゃありませんか。それでは『ベストテン』は成り立たない。

じゃあどうするか、って渡辺プロに言いに行ったら、『紅白ベストテン』の放送日を
変えりゃいいじゃないか‥‥。いかにおごりたかぶっていたかということですね。
オレたちのところが出なかったら、お前のところはつぶれるだろう、といわんばかり
の話だよ。自分のところにはぜったい頭を下げてくるものだという先入観があるから。

そこがこっちはガッツの井原さんだから、じゃあ、結構、もうお宅の歌手は要りません。
そのかわり、金曜日の夜、渡辺プロにやらしてあげようと思ってたワクもあげません。
やめた! と言って帰ってきた。

社に帰るや部員を集めて、「要するにこういう事情で、俺はナベプロを切って来た。
だからもう死ぬ気でやれ、絶対負けられないんだ、この戦さは。ただし放送局のほうが
偉いに決まってるんだから、これはやれば勝つ。だからがんばろう」ってことになった。
そしてナベプロが作るはずだった金曜日枠で『金曜10時!うわさのちゃんねる!!』を
やることになった。

この番組の視聴率は30%を超えるヒットになり、渡辺プロの裏番組は散々な結果に
終わり、半年で終了した。

一方、それと同時に、渡辺プロ以外の全プロダクションの社長に集まってもらいまして、
今日は紅茶とケーキしかないけれど、じつはこうこうこうで、渡辺プロとこういう話に
なった。正直言って俺も困る。だから助けてくれ。ここはひとつ井原を男にしてくれって
いう話をした。

集まっている堀威夫にしても、サン・ミュージックの相沢さんにしても、田辺の昭ちゃん
にしても、みんなもとは楽隊仲間なんですね、しかも僕のほうがちょい先なんだよ、ちょっと
先輩。
だからみんな応援してくれました。しかも、ただで応援しろって話じゃない。『スター
誕生!』で出て来たスターを、渡辺プロ以外のプロダクションに全部配分したんだから。

森昌子が出た、ホリプロにあげましょう。桜田淳子が出た、サンミュージックにあげま
しょう。山口百恵がまたホリプロですね。その他、消えちゃったのまでいれれば数知れず。
しかも、配給すると同時に、こっちは放送でドンチャカドンチャカやるから、どんどん
スターになっちゃう。

日本テレビ音楽出版は版権でもうけるし、ナベプロ以外のプロダクションも全部栄える
だけ栄えちゃった。
一方、渡辺プロは逆に、ずうっと下り坂になって来ちゃって、今日の姿と相成った。
本当に晋さんは損したと思うよ、あそこでね、「紅白? じゃ、曜日変えりゃいいじゃ
ないか」って言った一言で。その一言が今日の渡辺プロの衰亡を招いた。誰が何と言おう
と絶対にそうだよ。
そう思ってないのは晋さんだけでしょう。というのは、今やあの人は“天皇陛下”だから。
下々のことを誰も教えないから、事情を何も知らないんだ。

(この本の初版は1983年である)


まあ、日本テレビの伝説のプロデューサーが言いたい放題いってるなぁ、という感じだが、
大帝国の衰退も、蟻の一穴から始まったのかもしれない。
ただし、その後、渡辺プロも裏番組に「みごろ!たべごろ!笑いごろ!」をぶつけ高視聴率を上げる。
紅白歌のベストテン」は1981年3月末に終了した。


このドラマは、一連の昭和30年代ブームのひとつだろうが、画面にフラフープやオート三輪
出しておけばいいというものではなかろう。
当時の風景は、もっと殺風景だったのではないかと思う。生まれてないから分からないけど。


なんで、このドラマに違和感をおぼえたんだろう、と思ってプロデューサーが誰か見てみると、
渡辺ミキ栗原美和子だった。
渡辺ミキは、まあ父親の伝記なのだから当然として、栗原美和子とはね。
知ってたら見なかったのに。