TV依存症

私はテレビ依存症だ。
もし「女とテレビ、どちらを取るか?」と言われたら、たぶんテレビと答えるだろう。
実際、映画の録画予約を忘れたので家に戻るため、デートをすっぽかしたことがある。


さすがに、これはおかしいと思う。
なんでだろうと考えると、自分があまりにも受け身だからだ。
能動的に何かをすることが、まずない。


テレビは、常に向こうから楽しいことを与えてくれる。気に入らなければ、チャンネルを
変えればいいし、録画したものもある。
受け身だから、ゲームはほとんどしない。
ソフトを買ってくるという行為に、そもそも気合が必要だからだ。
(だからネットゲームには、たぶんハマるだろう。近づかないようにしなければ)


逆に、女はこちらから楽しいことを与えなければならない。
これが苦痛だ。
そもそも、私はバカなので、女が喜ぶような会話ができない。
万が一、私と会話が盛り上がるような女がいたとしてら、そいつはたぶん痛いタイプだ。
まともな女は、そもそも私の姿が見えないはずだからね。いや、マジで。


で、年がら年中ずっとテレビを見ているわけだが、ずっとつけっぱなしで見ている
わけではない。これでも選んでいる。週に12時間ぐらいだろうか? 
一度見ると決めた番組は、録画してでも必ず見る。見ないと不安になる。
これが依存症たる由縁だ。


考えてみれば、べつにその番組を見逃したからといって、何が失われるというわけでも
ないのだが、自分だけが損をしたような気分になり、取り返しのつかない失敗をしたと
思って哀しくなる。


だから、8チャンネルの番組を、同時にハードディスクに取り込んでしまう製品が
ソニーから発売されているが(参照)、これなど夢のシステムである。


ただ、本当にテレビ中毒ならば、すでにこれを買っているだろうし、一日中ずっと
テレビを見ているはずだ。
だが、こうしてPCに向かって何か書いている時間もとっているわけだし、いざと
なればテレビなしの生活だって可能なはずなのだ。たぶん。


森高千里の歌に「ボーッとしてみよう」(アルバム“TAIYO”収録・現在は廃盤)と
いうのがある。これは、森高が実際にテレビが壊れたときのことを歌詞にした曲で、
本当にそんなことがあるのかしら、と思っていた。


そしたら、本当にテレビが突然ブツンと音を立てたきり映らなくなってしまったことが
あり、丸二日ずっとテレビなしだった。不安でしょうがなかった。
一人暮らしでテレビがないと、これほど部屋が静かなのか、と思った。
ラジオをつけると、よけいに寂しくなった。


メディアは、双方向性というのを売り物にして失敗した時期があったけど、私のような
受け身の人が多かったんだろうな、と思うと少し安心だ。
でも、人生は受け身じゃダメなんだよね。いまさら気がついてもどうしようもないけど。