甘い生活

甘い生活 デジタルニューマスター版 [DVD]
98年9月、私と友人がローマに到着したのは夜中だった。
これからホテルに行こうとスーツケースを転がしていると、イタリア訛りの英語で男が
声をかけてきた。
「すてきなアメリカン・バーが近くにあるんだけど、一緒に行かないか?」
私たちは、あまりにも怪しかったので、当然ながら断った。


チェックインして、腹が減ったので食事をしようと外出したとき、同じ男に再び声を
かけられた。
いったい、奴は私たちをどうするつもりだったのか? これが私と友人の、ローマでの
最初の話題だった。


私は、フェデリコ・フェリーニ監督が大好きだ。
この「甘い生活」は映画館で2回、ビデオでも7回は見ている。
見るたびに新しい発見がある。
人生の全てが描かれているといってもいい。少なくとも私にとっては。


冒頭、ヘリコプターでキリスト像を運ぶシーンがある。
マルチェロ・マストロヤンニは、そのヘリコプターを追いかける、もう一台のヘリコプ
ターに乗っている。
彼は、屋上で日光浴をしているビキニの女性たちに向かって何かを叫ぶ。
だが、ヘリコプターの音で女性たちには声が届かない。身振りで電話番号を教えて、と
言っていることが分かる。


ラスト、海辺でエイのような気持ちの悪い魚が地引網で引き上げられる。
マルチェロ・マストロヤンニは、しばらくそれを眺めていたが、遠くで自分を呼んでいる
気配がして、浜辺の方を見る。
一人の少女が、彼に何かを伝えようとしている。少女は、浜茶屋のバイトをしていた娘で、
マルチェロとは一度会ったことがある。
だが、波の音で少女の声が届かない。マルチェロは、声を聞くことを諦めて立ち去る。


天空のキリスト像から始まり、海の悪魔のような魚(という台詞がある)で終わることを
きちんと計算して作られているが、マルチェロは天使のような少女の言葉を、ついに耳に
することはできない。


これは、男女の意思疎通のメタファーなのだろうか? 
私は、最後に少女がカメラに向かって視線を合わせるとき、いつも落ち着かなくなる。
「あなたは、誰か愛する人がいるの?」「誰かに愛されているの?」と問いかけられて
いるような気がするからだ。


ちなみに、浜茶屋マルチェロが小説を書こうとしているシーンで、ラジオから流れて
くる曲は、ペレス・プラードの「Patricia」という傑作である。
もちろん、全編に流れるニーノ・ロータの音楽が素晴らしいのは言うまでもない。


イタリア旅行中、私たちはフェリーニ監督の故郷、リミニに立ち寄った。
何もない海岸をぶらぶらして、すぐに出発した。
さすがにリミニでは、日本人観光客に誰も声をかけてこなかった。
このイタリア旅行を最後に、私は外国へ行っていない。