コクリコ坂から

ゴローの映画かよ、と思っていたが、見たら面白かった。
たぶん脚本の手柄だろう。


2011年の日本で、青春をど直球で見せるとどうなるか、という実験の
ようにも思えた。私はよかったと思ったが、若い子たちはどうだった
のだろうか。


1963年の高校生(しかもエリート)たちは、現在の高校生たちより
うんと大人だったけれど、彼らの父親たちはもっと大人だった、と
いうことが分かる。


そして私たちはそれらを失ってしまった。


1963年の高校生たちは、2011年に65歳前後になっている。
たとえば、菅直人とか。


映画では、校内にあるカルチェ・ラタンと呼ばれる文科系の部活の
巣窟のような建物を守るものと取り壊すものの対立が描かれる。


汚くて役に立たないことばかりしている建物を女生徒たちが掃除し
てきれいにしていく、というメッセージは、宮崎駿がいまの政治に
向けたものに見えるが、考えすぎだろうか。


宮崎アニメは、女性が強い。
この作品でも、主人公の女の子は当たり前のように家事をする。
外見は少女でも、中味はお母さんである。


なんだかんだ言っても、オタクはそういう女に弱いのである。
冒頭に、朝ご飯を手際よく作っているシーンがあるが、見とれてい
るうちに映画に引き込まれていく。


不思議なことに、こういう少女を他のアニメではあまり見たことが
ない。なぜだろうか?