西洋音楽史

西洋音楽史―「クラシック」の黄昏 (中公新書)

西洋音楽史―「クラシック」の黄昏 (中公新書)

私はクラシック音楽には、とんと疎い。
たまたま友だちがクラシック通だったので、いわゆるマエストロと呼ばれる大指揮者の
エピソードを聞かせてもらうと、非常に面白かったのだが、音楽そのものについては
よく分からない。


せいぜい、チャイコフスキー交響曲第六番とか、ドボルザーク交響曲第八番、あとは
モーツァルト交響曲第四十番を聴いて、ええなぁ、と思う程度である。


そういう人間が、クラシックの通史を読んだのだが、意外とよかった。
普通、学校ではビバルディから始めてベートーベンで終わるという感じだが、それ以前や
それ以後の芸術音楽がどういう流れだったかが、非常に分かりやすく書いてある。


私は読み終えて、「個体発生は、系統発生をくりかえす」という生物学の用語を思い
浮かべた。


つまり、クラシック音楽は宗教音楽から出発し、自意識に目覚めて、大衆化し、爛熟期を
迎えて、先鋭化していった。これら一連のことを数百年かけて行ったわけだが、ロックや
ジャズも同様の流れがあり、しかも先鋭化していく過程が極めて短くなっている。


なぜ先鋭化(分かる人だけ分かるようになる)するスパンが短くなるのかといえば、
消費するサイクルが早いからであって、20世紀後半から先進国が加速度的に豊かに
なっていく負の側面といえるだろう。
(逆に、消費のサイクルから外れている国の民族音楽は先鋭化しない)


音楽だけでなく、マンガやゲームも、作り手と受け手が幸福な関係である期間は、とても
短くなっていると思う。
そこに商売がからむと、分かりやすいものだけを量産していくようになる。90年代以降の
J-POPやマンガやゲームが、そこそこ面白いけど熱くない、という状況に陥っているのは
ラディカルな進化を抑えているからではあるまいか。
それがいいことか悪いことかは分からないけど。


この本には、現代のポピュラー音楽の大半は、19世紀のロマン派の枠組みの中にある、と
書いてあるのだが、自分が好きなクラシック音楽も、そういえばロマン派だと気づいて、
俺って保守的やなぁ、と苦笑したのでした。