NHKの朝ドラ「半分、青い。」が終わった。
最後まで見たが、何一つ心に響かなかった。


このドラマが大好きだという人の「(笑)や(苦笑)」だらけの
ブログを読んでみたのだが、何が良かったのか全く伝わらない。
これまでの朝ドラのセオリーを壊して、視聴者を戸惑わせるのが
いいのだ、という主張のように見受けられる。


なんだろう、クラシック音楽でいうと、ロマン派や印象派を期待
していた人が現代音楽を聴かされたようなものだろうか。



私が見聞きした評判では、圧倒的に批判的な内容が多く、それぞれの
人が「ここだけは許せない」という部分を持っていたように思う。
その許せないポイントは人によって違うようで、ここまで視聴者の
心をざらつかせた朝ドラも珍しい。


ちなみに私はマンガ家編が許せなくて、マンガを描きたいと思う人の
本質が全く理解できていないと思った。
おそらく他の部分で許せないと思った人もそうなのではないか。



そこで私はテレビドラマの作家性というのを考えてしまう。
作品によってウェイトは違うだろうが、脚本家の資質がドラマの
出来に大きく関わってくるのは、昔からあまり変わらないのだろう。


が、山田太一倉本聰市川森一橋田壽賀子といったビッグネームに
比べると、現代の脚本家は数段落ちると言わざるを得ない。
テレビ局が脚本家を使い捨てにしてきたからだ。


そのため二流三流の人も駆り出されてしまう。



朝ドラは月曜日から土曜日まで毎日15分を半年続ける長丁場で
ある。脚本家も相当の体力を必要とする。
たぶん自分のすべてを絞り出すような苦しみを味わうはずだ。
そこには無意識に脚本家の本質も出るだろう。


私が「半分、青い。」で感じたのは、視聴者に対する敬意の
欠落と、薄っぺらい思想だった。
この脚本家はいくら取材をしても、ものごとの本質をつかむ
ことはないだろうと感じた。


さらに言うなら、3ヶ月12話の1時間ドラマの脚本は書けても、
朝ドラのような長丁場は能力的に無理だった、という残酷な
事実である。ましてや大河ドラマなど、とてもとても。



役者や音楽、主題歌も最高だったが、残念ながら土台になる
脚本が全体の評価を下げてしまった、と個人的には感じた
朝ドラだった。
次回の「まんぷく」には期待しよう。