残された映像

テレビのCMで、運動会のシーズンに新しいDVDカメラを使って撮影しましょう、という
のがある。最近の小学生たちの映像は、DVDで記録されるのだなぁ‥‥と思うと隔世の感が
あるね。


イカラな(←死語だな)家庭だと、戦前から8mmで家族の記録をとっていたけれど、
うちはそういう趣味もなかったので写真だった。
従って、私は自分が子供のときの動いている映像を見ることができない。
別に不満なわけではないけれど。


80年代の後半ぐらいから、普通の家庭でも動画で記録することが一般的になったと思う。
そうすると、いま二十歳ぐらいから下の人は、自分の子供のころの映像を確認できる
はずだ。


このことは、本人の自我にとって、どのような影響があるんだろう? 


ああ、動いてるんだなぁ、ぐらいの感想しかないのだろうか。
もっと歳をとって、自分の子供を撮影するようになると、改めて見返したりするもの
なのか。


恐らく、素人の両親が撮影したものだから、見ていても退屈する仕上がりなんだろうと
思う。
逆に、うまく編集してあって、作品と呼べるものを残している人もいるかもしれないが、
繰り返して何度も見るようなものでもなかろう。


そうすると、全国の家庭には、膨大な映像記録が死蔵されていることになる。
これは何のために存在しているのだろう。
ただ記録を残すということだけに意味があるのかな。


老人になって、自分の生まれたころや運動会で走っている映像をぼんやり見ている、と
いう姿は、なかなかグロテスクな気がする。


ついでに言うと、プリクラもそうだな。
中学・高校でいやというほど撮ったプリクラは、しみじみと見返すときが来るのだろうか。
そのとき、女はどんな気持ちになるのだろうか。


世の中は分からないことだらけである。


おしまい。