ステージの成熟と定型

2003年の1月に、従兄弟の結婚式があったので上京した。
そのとき、東銀座へ歌舞伎を見に行き、「助六由縁江戸桜」という一幕を見物した。
一幕だけだとけっこう安く見られるのだ。


その舞台を見ていて驚いたのは、なんと劇中にケータイが出てきて、なおかつ着メロが
モーニング娘。の「LOVEマシーン」だったことである。
あまつさえ、そのケータイを持っていた歌舞伎役者(名前は忘れた)が
に〜っぽんの未来はWOW WOW WOW WOW
といい声で一節唄った。場内は大爆笑である。


もちろん、この場面はアドリブであり、本筋はちゃんとした江戸時代の話だ。
恐らく、一見の客にも楽しんでいってもらいたいというサービスだろう。


堅苦しいと思っていた歌舞伎が、実はこのように柔軟なこともできるんだと感心した。
江戸時代から続いているのは、伊達ではないのだ。


歌舞伎には伝統に基づく型がある。
同じストーリーを上演しているのだから、次第に洗練されてきて、決めのパターンが
確立するのだろう。
観客の声のかけ方も「音羽屋!」とか「成駒屋!」などとタイミングよく叫ぶ。
あれはまさしくヲタ芸といってもいいだろう。


そこまでの伝統はなくとも、長い芸能活動で、ステージと客との間に合意が成立する
こともある。
矢沢永吉のコンサートだと、タオルを投げるとか、山下達郎のコンサートだと、
クラッカーが鳴らされるとか。


これらの洗練・成熟には、どのくらいの時間がかかるのだろうか? 


女性アイドルのコンサートに、このような洗練・成熟がないのは、アイドルが活動を
長期化しない(できない)からであろう。
若くて可愛い女の子は、いつまでも若くて可愛いままではいられない。
いつかはアイドルを卒業するときが来るはずだ。


さて、ハロープロジェクトはどうだろう。
モーニング娘。を卒業した人も参加するコンサートは、洗練されてきているだろうか? 
観客は成熟しているだろうか? 


ステージ上でも、次々と若くて可愛い女の子たちが現れていき、観客も新規参入して
くるのであれば、洗練・成熟はないだろう。
そのダイナミズムこそが、アイドルの輝きであるとも言えるのだが。


結局、古株のモーヲタは、ディナーショーへ河岸を移すしかないのかもしれない。


【余談】
プロ野球の応援で、トランペットを吹き鳴らしたり、でっかい旗を振ってる人たちが
いるよね。あれは応援としてどうなんだろう? 本当にチームを応援してるの? 
「ちゃんと野球を見ようよ」と言ってあげたい。