イスラエルのネタニヤフ首相が組閣に失敗して政権を手放した。

私はイスラエルの政治について全く知らないのだが、新しい

内閣を見ると極右から左派、アラブ人政党があって、彼らの

一致点は「とにかくネタニヤフはダメだ」というものだった

ことが窺える。

これほど嫌われる原因は何だったのか、誰か解説してほしい。

 

 

 

 

前から気になっているのは、イスラエルの右派というやつだ。

彼らはどういう政治思想を持っているのだろうか。

日本の民族派右翼のように、ユダヤ人こそ世界で最も優れた

民族だ、と思っているのか。

 

 

現在のイスラエルの建国を見るに、どうして右派や極右が

台頭してくるのかが分からない。

いまのイスラエルでは近代史をどのように教えているのか。

バルフォア宣言とかフサイン=マクマホン協定は歴史の

教科書にちゃんと書いてあるのか。

 

 

それとも歴史という科目はなく、旧約聖書だけで済ませて

いるのだろうか。超正統派の人はそんな感じなのかも。

 

 

 

 

せっかくオスロ合意が成立したのに、それをひっくり返した

のがネタニヤフだという。

イスラエル右派はホロコーストを盾にして自分を正当化して

いる気がするな。

欧米の反ユダヤ主義がいまだに消えていないのも一因かな。

 

 

こっそり核兵器を所有していたり、北朝鮮と同じような国の

はずなのに、世間の評価がぜんぜん違うのが不思議だ。

腹立ちまぎれに書いているので許していただきたい。

今朝7時ごろ、近所の温泉施設に行った。

案の定、老人が多かった。

そのなかの何人かが、どえらい声で喋っている。

なぜそんな大声を出すのか分からないのだが、言っている

ことが周りに筒抜けである。

家族のことやワクチン接種のことや下ネタだ。聞きたくも

ない。

なによりコロナ対策として、飛沫を撒き散らすような会話は

厳禁だが、もう説明しても理解できないのだろう。

公共の場所で大声を出す人は、出身地がどこであれ田舎者だ。

これは世界共通の感覚だと信じたい。

もう早朝にあの温泉施設には二度と行かない。

 

私がクズという言葉でイメージするのは、女房子供に暴力をふるい、

酒を浴びるように飲み、ギャンブルで借金を作り、風俗に入れ

込む無職のオッサンである。

 

 

さて、私がクズになるには、まず結婚して子供を作らなければ

ならない。無理だ。

酒も下戸だからほとんど飲めず、限界を超えると吐いてしまうし

頭痛がしてしばらく飲みたいとも思わない。

ギャンブルはもともと興味がない。競馬新聞なんかを隅から隅

まで読んでいる人をちょっとうらやましく思う。

風俗は若い頃に多少かじったが、金を払うのが惨めになった

ので遠のいた。

 

 

というわけで、私は典型的なクズにすらなれない。

 いるかいないのか分からないオッサンである。

 

しかし、こういうイメージはいわゆる昭和のクズである。

令和のクズは、ネットで誹謗中傷する輩ではなかろうか。

もっとも、多少のITスキルが必要なので、これも私には

無理なのだった。

 

 

このような庶民レベルのクズは周りの人間を不幸にするが、

その範囲は広くない。

が、権力を持った人間がクズだと、その不幸は日本中に及ぶ。

誰のことかはご想像にお任せする。

 

正しいタイトルは忘れたが「100日間生きたワニ」みたいな

マンガがネットでバズッて、その後に電通案件であることが

バレて、急速に熱気が引いたことがあった。

 

 

電通案件とはネットスラングで、広告代理店が裏で糸を引いて

いた、というような意味だ。

 

 

なぜ多くの人が電通案件を嫌ったか。

自然発生的な面白いものを自分で発見した、という喜びが

実は用意周到なもので、広告代理店の思う通りに動かされた、

という屈辱を感じたからだろう。

 

 

本当は、裏で誰がプロデュースしようと、自分が面白いと

思ったものは面白いのだ、と言えればいい。

しかし、そんな自信満々な人はあまりいないから、つい

キョロキョロと周りを見回してしまう。

同調圧力はメガヒットも生むけれど、ヒットする芽を摘む

こともあるのだ。

 

 

 

 

で、話は東京オリンピックに移る。

これはもうバリバリの電通案件である。隠しもしていない。

スポンサーもガンガン広告している。

 

 

いまは中止した方がいいという人が少なくとも半分はいる。

だが、実際に開催されて日本人選手が活躍すれば、手のひらを

返したように応援し始めるだろう。

上級国民はそのことを知っているから、強引に開催させる

のである。

 

 

サブカルチャーでは電通案件と知られたとたんに熱がなくなる

のに、オリンピックはどうして熱狂する人が減らないのだろう。

スポーツはやってみるまで結果が分からないものだからだろうか。

 

 

こうして電通の思い通りになる人が何千万人もいるおかげで、

たんまりと儲ける人がうまい酒を飲めるのである。

私もそのお相伴にあずかりたい。

 

*[本]進撃の巨人 34巻

単行本派なので、ようやく最終話を読めた。

終盤ぐらいから、大江健三郎のテイストを感じていたのだが、
同感の人はいるだろうか。
詳しい人は比較してみると面白いかもしれない。


月刊誌の連載で、しかも単行本で読んでいたので、数ヶ月前の
話をすっかり忘れてしまい、前の巻から読み直していた。
でも、その前の巻もやはり忘れており、きちんと感想を述べる
には最初から一気に読まないといかんのでは、と思う。


とはいえ、こうして大団円を迎えて、大きな物語が終わった
余韻を噛み締めている。
おそらくいろんなパターンを考えた末に選んだラストだった
と思うけれど、私はそれでよかったのだと思う。


生命はただ増え続けることが目的なのか、という問いに
対して、生きている幸せを感じることもまた意味がある
のだ、という回答は、これほど多くのキャラクターが
犠牲になった話であるがゆえに、説得力を増したのかも
しれない。


世界中の人が進撃の巨人をどう読み解くかは分からないが、
作者も軽く絶望しているように、人類は殺し合い続けるの
だろう。


もしかしたら、30年後には「はだしのゲン」的なポジションの
マンガになっているかもしれない。

いきものがかりの山下というメンバーが脱退するという。

このバンドには特に思い入れはないのだが、ヒット曲の

サビぐらいは聴いたことがあって嫌いではなかった。

 

 

こういう、男二人女一人のバンドって、男一人が脱退しがち

ではなかろうか。といってもサンプルが他にドリカムしか

知らないのだが。

 

 

というより、音楽的な能力に差があると、どうしても

バンドの中の立ち位置が狭くなって、俺いる意味ある? と

思ってしまうのかな。

 

 

 

 

一方、お笑い芸人でトリオの場合はあまりそういうことが

ないような気がする。そもそも男二人女一人の組み合わせが

ほとんどないのだが。

同性のトリオだと、脱退するとかまで追い詰められないのかも

しれない。

 

 

まあ、私が知っている芸人は売れている一握りだろうから、

トリオでスタートして解散した人は山ほどいるのかもしれない。

 

*[映画]シドニアの騎士 あいつむぐほし

月曜日のレイトショーで観客は8人。
特典の黒い不織布マスクをもらったが使わないまま保存しよう。


かなり延期されたが無事に公開されてよかった。
これで「シドニアの騎士」の完結が見届けられてうれしい。
単行本をまた読み返して感慨にふけることにしよう。




シドニアの騎士のつむぎを見ると、萌えとは何だろう、と
考えてしまう。
なにしろ映画のコピーが「身長差15メートルの恋」である。


つむぎの巨大な本体の造形は、いわゆる人間ではないのだが、
顔を赤らめたり涙を浮かべたり、ちゃんと可愛く見える。
さらに触手を伸ばしたにょろにょろも、シンプルな形だが
やはり可愛いのだ。


そうすると、可愛く見えるということは、必ずしも姿かたち
ではなく、しぐさや言葉にも左右される、ということに
なるだろう。


しかし、これは弐瓶勉の天才的な能力があってこその
表現だと思う。にょろにょろのつむぎはそれを証明して
いるだろう。


で、そのルーツを探ると、おそらく手塚治虫のマンガに
至るのである。