NHKの「クローズアップ現代+」で電話について取り上げていた。

途中から見たのだが、私も電話は嫌いである。

よほどの緊急時でない限り、連絡はメールにしてもらいたい。

仕事をしていたときは割り切ってやっていたが、プライベートに

まで侵入してほしくはない。だから営業の電話をかける奴らは

この世から滅びてほしいとさえ思う。

 

その一方で、まだメールが発達していない若いときは、友達と

何時間も長電話をしていた。

矛盾するかもしれないが、気の置けない人となら楽しいのだ。

 

今の若者は長電話をしたことがあるのだろうか? 

そのあたりはあまり変化していないような気もするが、電話は

基本的に一対一である。何人もの友達と同時に会話するのは

LINEの方が便利だし、あまり長電話をしないのかもしれない。

もうとっくに片付けられている話題かもしれないが、ふと思いついたので

書いておく。

 

最近、中国人が書いたSF小説「三体」が売れているという。まだ読んだ

ことはないが面白そうだ。

 

そこで、傑作を書くSF小説家が生まれる条件とは何だろう、と考えてみた。

そもそもSF作家は米国人が圧倒的に多い。

wikipedia で「各国のSF作家」の項目を見ると、米国・日本・英国でほぼ

9割ぐらいである。

ドイツやフランスの作家もいるが、イタリアはない。

 

南アフリカやトルコの作家だってノーベル文学賞を受賞しているのだから、

純文学の分布とはまったく違うだろう。

 

では、SF小説は米国特有の文化なのかといえば、旧ソ連やロシアでも名作は

書かれていたわけだから、そうとも言えない。

 

私が思うに、

1) 科学技術文化が成熟している国であること

2) サイエンスの知識を持っている人が多いこと。

3) 身近にSF小説やマンガなどがあること。

が条件だろうか。

 

もうひとつは、宗教的な縛りがない、というのもあるかもしれない。

カソリック教徒が多かったりイスラム圏では、SF作家は育ちにくいような

気がする。

(じゃあファンタジー小説はどうなのか、というと、やはり米国が多いのである)

 

優れたSF小説家が現れることは、何かの尺度になるのかどうか、誰か

論証してほしい。

 

*[本]日本文学史序説

日本文学史序説〈上〉 (ちくま学芸文庫)

日本文学史序説〈上〉 (ちくま学芸文庫)

日本文学史序説〈下〉 (ちくま学芸文庫)

日本文学史序説〈下〉 (ちくま学芸文庫)

こういう古典的な名著を若いときに読んでおけばよかったと思うが、
はたして若いときにちゃんと読めたかどうかは分からない。


ともかく、日本の文学史を古代から近代まで通して把握できたのは
ありがたいことだ。こうしたマッピングをするには、どれほどの
読書量が必要なのかと思うとめまいがする。


あとがきでも書いているとおり、本書は

日本の土着世界観が外部からの思想的挑戦に対して各時代に反応して
きた反応の系列を、それぞれの時代の社会的条件のもとで、その反応の
一形式としての文学を通じて確かめようとした

ものである。


儒教や仏教、あるいはキリスト教を補助線として、日本人がどのように
それを受け入れたか、変質させたか、あるいは全く受け入れなかった
のかを、残された文献から読み解こうとしている。
その視点にブレはなく、理系的な分析力があった。


著者は医学部卒でもあるからか、医者出身の文学者について語るときは
ちょっとノリがよくなっていたような気がした。



こうしたハイカルチャーの通史を知っておくと、現代のサブカルチャー
語るときにも便利なのではなかろうか、と思う。
たぶん大衆が求めるものは昔からほとんど変化していないのだろう。



私が読んだのは2009年の第8刷の文庫本なのだが、下巻の341ページ
後ろから7行目「彼がら」は「彼らが」の誤植ではなかろうか。
最新版では直っていると思うのだが念のため。

つるの剛士は、いわゆる「おバカタレント」としてブレイクしたそうだ。

そして「バカだけど日本のことを考えてみました」という新書まで出して

いる。

自称バカだが、芸能界で生き残れているのだからバカではなかろう。

 

とはいえ、親学に入れ込んでいたり日本会議的な考えに賛同したりと、

いい広告塔になっているのを見れば、本質的にはバカなのかもしれない。

 

なぜか彼の発言には「芸能人が政治に首を突っ込むな」みたいなクレームは

つかない。

それは、クレームをつける人がどのあたりにいるのかの証明になっている。

 

普通、自分でバカを名乗るのは謙遜の意味が多いのだが、つるの剛士

場合は極右思想を隠すために使っている。

本人がいい人そうなイメージだけに悪質だと思う。

*[マンガ]進め!ギガグリーン

 

 

進め!ギガグリーン (4) (ビッグコミックス)

進め!ギガグリーン (4) (ビッグコミックス)

 

 いつの間にか連載が終わっていた。

最終エピソードは、ちょっと社会人の働き方とかに傾きすぎていたかな。

ブコメ的なギャグが藤木俊の持ち味なのに、と思っていたら巻末の

おまけ4コマで詰め込んでいた。たぶんこれが本当にやりたかった

ことなんだろう。面白かったし。

 

 

でも、うまくやれたら「トクサツガガガ」みたいなドラマ化もあった

のではないか。ちょっと惜しい作品である。

 

前から言っているが、藤木俊の「はじめてのあく」はアニメに向いていると

思うのだが、どうだろうか。もう10年前のマンガだが、しっかりした話なので

面白くなるはず。

 

はじめてのあく 1 (少年サンデーコミックス)

はじめてのあく 1 (少年サンデーコミックス)

 

 

桜を見る会」の不正追及について、国家予算に比べたら少ない

金額で何を細かいことを、とか、もっと大事なことを議論すべきだ、

という意見があるようだ。

 

税金はその使いみちを基本的にはすべて納税者に説明しなければ

ならない。これは納得していただけるだろう。

そして100円のものを盗んでも100万円のものを盗んでも、罪は罪

である。法治国家であれば、万人に適応されるべきだ、という

ことも納得していただけるだろう。

 

桜を見る会」は税金を使って行われており、政治家が選挙民を

饗応した疑惑がある。税金の使いみちについて国会で議論するのは

当然である。金額の多寡は関係なく。

 

それを知らぬ存ぜぬで押し切ろうとするならば、現政権は法治国家

であることを放棄していると判断せざるを得ない。

もし何の問題もなければ、収支報告をして招待客のリストを提示

すべきであろう。

 

ただ、野党ははしゃぎすぎないように気をつけていただきたい。

あくまでも証拠を出しつつ、慎重に追い詰めていかなければ、

ネトウヨが暴れて世論をかきまわすだろう。

本屋に行ったら「鬼滅の刃」の単行本が売り切れている。

この田舎でもそうなのだから、都会ではどうなっているの

だろうか。こんな売れ方をするマンガは久しぶりに見た。

集英社は笑いが止まらないだろう。

それもこれもアニメのおかげではなかろうか。

菓子折りの一つも持って徳島に挨拶に行っているのかな。