あなたの通っていた学校はどんなところでしたか? という質問に対して、
人はどう答えるだろうか。
今なら、グーグルアースで「こんなとこ」という辞書的な説明をする人が
いるかもしれない。
あるいは、スマホの中にある写真を見せて「こんな感じ」と言うかもしれない。
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学校という時間的にも空間的にも大きなものに対して、我々が持つカメラの
フレームはあまりにも小さい。
遠くから一望できる場所で撮影したものには、ディティールが写らない。
なので、巨大なものを描写するには、小さなフレームから覗いたものを
細かく貼り付けていき、他人にその全体を想像させる手法が一般的だ。
それが小説であったり映画であったりする。
そして、凡人は断片そのものがつまらないし、その集積を制御することが
できないが、ある種の才能がある人は、その断片から見ている者を飽きさせず、
様々に解釈できる巨大な何かをつくることができる。
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なので、そのような集積でしか語れないものに対して、一言で言うとどういう
ことですか? と質問する人に、知性というものはないと断言できる。