エジソンの母

子供の質問というのは、たいてい人を困らせるためにするもので、本質的なことを聞きたい
ためではない。
中には稀に天才がいて、そういう質問をするかもしれないが、天才ならば質問に内包されて
いる答にも気がつくはずである。


そう、質問ができるということは、何らかの答が質問の中に含まれているのだ。
世の中には、質問の形にすらならないものがたくさんあり、それらは当たり前だが答もない。


エジソンの母」には、“どうして?”を連発する小学一年生が出てくる。
その質問に誠実に答えようとすればするほど、“どうして?”の泥沼にはまる。


最もいいのは、自分で考えて答を出しなさい、と言うことだ。
もし“わからない”と返事をすれば、わかるまで考えなさい、と言えばおとなしくなる。
大人は子供の質問に全部答える必要はない。


このドラマでは、あたかも子供の個性を尊重して、天才児かもしれない少年をみんなで見守っ
ていきましょう、みたいなメッセージがあるような気がするが、クラス全体の指導も大切で
ある。


もし、本当に天才児なら、知能検査を行って、しかるべき機関で教育すればよろしい。
そうでないなら、ちょっと迷惑な子として、なるべく目を離さないで指導していくしかない。


ドラマの今後の展開としては、伊東美咲が子供に振り回され、親が怒鳴り込んできて困る、
というおなじみのパターンと、谷原章介が少年の天才性を見抜いて個人教育していく、とい
う可能性が考えられる。


なんだか集団教育が否定されるような雰囲気があるが、コストの問題を考えると、学校のシ
ステムは必要だと思う。
そのあたりのバランスが、うまく脚本に書かれていればいいのだが、どうなんだろうか。


写真と本文はまったく関係ありません

日付は去年のものです