Boaz2015-05-12

あるジャンルのものを見聞きしたとき、面白かったかつまらなかったかは
自分の主観で決めるものだ。


ただ、オレの主観で世界はできている、と確信している人は、つまらなかった
場合にそのジャンルを否定する。


少しものを考える人は、自分には合わないけれども、これを好きな人はいるの
だろうな、と思う。
さらに謙虚な人は、つまらなかったのは自分に理解する能力がなかったからだ、
と反省する。


どういうものであれ、面白いかどうかの判断は自分がするべきで、それを
他人に向けて話さなくてもいいし、ましてや権力を使って潰そうとするのは
愚かなことである。
橋下市長が文楽の予算を削ろうとしたように。



しかし、橋下市長がブレないのは、権威をバカにする、という点だ。
世間的には能や文楽は高級なもので、多少のお勉強をしないと楽しめない。


つまり、能や文楽を見てつまらないのは、自分の勉強不足だ、と普通は思う
のだが、橋下市長は違う。オレがつまらないのは、本当につまらないもので、
インテリどもがこけおどしに使っているからだ、と考えるのである。


ある意味清々しい愚かさだが、かつては知識階級がこういう人をバカにしていた。
恥をかくのは、橋下市長の方だったのだが、いまはそういうインテリの権威が
なくなったのだろう。


おそらく、サブカルチャーが盛り上がるのと同時に、ハイカルチャーが凋落した
のだとも言える。


かといって、ハイカルチャーの権威が完全になくなったのかといえば、そうでも
ない。たぶん、欧米のインテリは、きちんとした教養を身につけた人が多いのでは
なかろうか。


そういう権威そのものが差別を生むのだ、というロケンロールでパンキッシュな
主張には大いに肯けるのだけれども、ハイカルチャーそのものに価値がないわけ
ではない。


どこかでハイカルチャーに対する敬意を持っていないといかんのではないか、と
思うのであります。