我々の崇高な理想を実現するためには、多少の犠牲はやむを得ない。
今は苦しいときだが、歯を食いしばってがんばってほしい。
21世紀になると、こういう言葉の胡散臭さがだんだん理解されるように
なってきたと思う。
特に労働問題の場合は、経営者の都合で使われることが多い。
例えばすき家などのゼンショーグループだと、全ての人に安くておいしい
食べ物を提供するという理想のためには、多少の残業はやむを得ない、と
いうように。
ワタミやユニクロでも以下同文。
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理想に向かってがんばることは正しいことだ。
しかし、その理想が現実とかけ離れるほど、犠牲になるものも大きい。
悲しいかな、がんばればがんばるほど、視野狭窄になって、手段が
目的化していく。
みんなを幸せにするはずだったのに、なぜか不幸になる人がとても
多くなっているという不思議なことが起こる。
理想を掲げるリーダーは、主観的には正しいことをしているつもり
だから、誰にも止められない。
むしろ、自分の欲望のためだと割りきっている人の方が、まわりに
与える被害は少ないだろう。
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なぜこんなことになるかといえば、自分の目で理想が実現した世界を
見たいという欲望があるからだ。
そのためには、自分が死ぬまでに理想を実現させねばならず、それには
とても時間が足りないけれど、無理をしてやらせる。
そのしわ寄せで、まわりの人が不幸になる。
ということは、理想を実現させつつ、まわりの人を不幸にしないためには、
急がないようにすることだろう。
大きい理想を掲げた場合はなおのこと、自分の代では実現不可能だと
悟った方がよろしい。
たとえ自分がポシャったとしても、次世代の誰かが受け継いでくれるような
運動こそ長続きして、結果的に多くの人を幸せにできるのではないだろうか。
そういう時間軸でものごとを考える人を育てることが大事なのではないか、
と思う。