昨日いきなり日本語入力ができなくなったので、画像だけ貼った。
今日、再び電源を入れたら直っていた。
(すぐに再起動したら使えたのだな)
言葉を奪われるというのは、こういう感じだったのか。
検索ができないストレスは大きかった。
それで気がついたけど、検索することは我々の日常の一部になって
いて、電気やガスを使うのと同じようなインフラになっている。
私の人生で、検索するようになったのは、ここ10年ぐらいだという
のに、もう以前には戻れない。
学生のときだったか、頭にふと「エド・マクベイン」という人名が
浮かんで、これって誰だったっけ? と唸ってみたものの分からず、
悶々としたことがあった。
友達に電話したら「ホルバイン」なら知ってる、とトンチンカンな
回答を得た。そりゃドイツの画家だ。
検索して分かる知識を外部化したことで、我々は楽になったけれど、
人生が豊かになったかどうかは分からない。
「幸せになる方法」と入力しても、答えは分からないだろう。
(いま検索したら自己啓発みたいなサイトがずらっと出てきた)
もしかしたら、ちょっとした疑問を検索して分かったようなつもりに
なることは、人間をどんどん脆弱にしているのかもしれない。
でも、便利さってそういうことだからなぁ。