本日付けの朝日新聞に載っていたベネディクト・アンダーソンの言葉。
本来、ナショナリズムは未来志向なんです。考えてみてください。
私たちはなぜ税金を払うのか。それは、例えば公園や美術館を維持する
ためだと考えて納得します。
その前提となっているのは、国家は将来も存続し続け、自分の孫や
子たちもきっとこの国で生き続けるという揺るぎない確信です。
私たちは、国家があるからこそ、未来のため、まだ生まれもして
いない子たちのために行動することができる。
通常のナショナリズムは、日常生活の一部であり、習慣やイメージであり、
空気のようなものなのです。
例えば、テレビで天気予報を見るとします。
その際、どうして日本各地の天気しか予報していないのか、などとは誰も
疑問を抱きません。
テレビのコマーシャルが、すべて日本人を対象にしていることについても、
誰も注意を向けない。
誰もが、『日本人』であることを当たり前に受け入れています。
ですが、日本が国民国家としてスタートしたのはほんの百数十年前、
明治時代です。
それまでは、自分は『日本人』だとは誰も思っていなかったはずです。
多国籍企業に勤めている人も、自分の祖国には特別の感慨を持っているの
だろうか。