*[映画]ふれる。

雨の日のレイトショーで観客は3人。
わりと面白い作品だと思うのだが、何が悪かったのだろうか? 


話の基本は80年代によくあった男女の心のすれ違いと恋愛、
みたいなドラマなんだけど、そこに不思議な動物の能力が
からんでいる。


けど、この「ふれる」という動物の能力が、主人公ら3人の
若者の間でだけ通じ合っていて、同居する女の子たちは
蚊帳の外なのだ。


心を通わせる関係性を絞りたかったのだと思うが、恋愛
がらみで女の子を疎外するのはどうだったのか。
彼女たちの心の中も共有させれば、話に深みが出たかも
しれない。


ストーカーも、なんだか不気味なだけで、あまり物語に
関与していなかったけど、これも「ふれる」を通じて
女性の恐怖心を共感していれば違った展開になったの
かも。



もうひとつは、主人公たちの背景を端折りすぎたこと。
なぜ島から東京に出てきたのか、ほぼ語られていない。
進学や就職のためだから、説明は不要だと判断したの
だろうか。
だが、主人公は進学でも就職でもなく、バーでバイトを
している。なぜそうなったのかは謎だ。


そこを丁寧に描かないと、ふれるの空間に閉じ込められた
ときに説得力がなくなるのではなかろうか。


ストーカー被害に遭った子も、なぜそんなことになった
のか、全く語られていない。
なので童貞視点だと単なるビッチに見えるのだ。



もしかして、その全く説明がないのがメッセージなの
だろうか。ふれるの能力でネガティブな情報をカット
して何でも伝わるけど、現実はそんなに丁寧な説明
なんかないよ、という。


映画のメタ的な構造としては有効かもしれないが、
エンタメ作品としては物足りない。



ちなみに、これまでふれるが必要なくなった人は
どうなったのだろう? 今回のように糸に巻き取られて
閉鎖空間に閉じ込められたのだろうか。


寂しい気持ちをわかってもらえて小さくなった
ふえるは、もう糸を出さないのだろうか。
ドッグフードは食べないのだろうか。



初老になればわかるが、どんなに親しく付き合って
いる友だちとも、それぞれが家庭を持ったり仕事が
忙しくなったりすると、連絡はとらなくなるものだ。


ふれるの糸が切れたとき、若者は大人になるのかも
しれない。