尼崎のドラム缶殺人事件の主犯とされている老女の写真が、まったく
別の人のものだったとして、大手メディアが謝罪していた。
彼らの集団はDQNと考えて間違いないだろうから、身内のあいだでは
写真を撮りまくっていたはずである。
いっそのこと警察が押収した携帯から適当な写真を公表すればいいと
思うが、人権上それは許されないのだろう。
それにしても60年以上生きていて、ここ数年はおろか何十年もの間、
誰にも彼女の写真が流通していないというのは、どういうことだろうか。
新聞社が容疑者の写真を手に入れるには、普通は親族や交遊関係を
当たる。しかし、この事件ではその親族のほとんどが餌食になって
おり、証拠になるようなものは残されていなかったのだろう。
そして、親しく写真を撮りあうような関係の友人もいなかったのだろう。
なぜなら彼女にとって、他者は自分の奴隷か身内でしかなかったから。
今の時代、最近の自分の写真を誰かと共有してないことは致命的なの
かもしれない。
私は辛うじて一人は自分の写真を持っている友だちがいるが、彼が
いなければ卒業アルバムの写真を公表される可能性がある。
いや、どこかに送った履歴書かもしれない。
写真を公表されるようなことをしなければいいだけの話だが。
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女子高生が何かしでかしたとき、顔写真が目が大きくなるプリクラ
しかなかったら、メディアはどうするのだろう? 使うのかな。