朝日新聞が孤独死をしている人の周辺をレポートしている。
30代の人から70代の人まで、街の片隅でぽつりと死んでいる。
私も東京で暮らしていたら確実にそうなっていただろう。
これは社会の共同体が崩壊してしまったから、ということになっている。
たしかにここ50年ぐらいはそうかもしれない。
だが、昔から「野垂れ死に」という言葉があったように、行き場のない
人が孤独に死んでいくことは当たり前にあったはずだ。
近代で福祉国家というものが発明されて以来、行き倒れや野垂れ死には
社会が悪いからだ、ということになっている。
理念としては正しいけれど、養老孟司ふうに言えば、都市が死を隠蔽し
ているからではないか。
孤独死に至る人は、どこかで人生が終わっているのに、さらに生きよう
とした結果だろう。
私自身も、もはや世の中に役立てるようなことは何もない。
人生の役割を終えてしまったのに、不思議と生きているのだ。
一部の人々は、このような穀潰しを消し去りたいだろう。
政府は希望者に毒薬を配るべきかもしれない。
腐乱死体になる前に処理されれば、そのぶん税金が浮く。
ただ、人間なかなか死ぬ勇気が出ないので、だらだらと生きてしまうのだ。
困った困った。